神のディスプレイパネル
◆ 申命記1-2
◆ マルコ10:1-31
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。―詩篇19:1
ハイテク映像全盛の時代にあって信じられないかもしれませんが、日曜学校の教師の中には、今でも聖書の物語を伝える最善の方法はフェルト板だという人がいます。私が子どもの頃の日曜学校では、表面にフェルトを張った板が使われていました。私の日曜学校の先生たちは、このフェルト板にイエスやダビデ、ダニエルなどの聖書の登場人物を貼り付けて、聖書物語のエッセンスを美しい描写とともに伝えてくれました。
おびえた涙
◆ 民数記34-36
◆ マルコ9:30-50
巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。―黙示録5:4
ヨハネ(イエスの愛された弟子であり偉大な使徒のひとり)は、泣き出してしまいました。
彼は獄中で幻を見ました。そこは、神の御座が置かれた部屋で、未来の出来事が明らかにされていました(黙5:1-12)。ヨハネは、天国におられる神が、封印された巻き物を持っておられるのを見ました。神の臨在の栄光を見つめつつも、ヨハネが泣いた理由は、その巻き物を開ける者がひとりもいなかったからです。神の最後の啓示を明らかにして、歴史というドラマを完結させる者がいなかったのです。
ヨハネは使徒として、罪の力を見てきました。また、罪を打ち破るイエスの人生と死も目撃しました。そして、イエスの昇天も見ました。しかし今、巻き物を開いて罪を永遠に打ち負かすことのできる者はいません(4節)。ヨハネはおびえていました。
「誰」と「どのように」
◆ 民数記28-30
◆ マルコ8:22-38
あなたは、キリストです。―マルコ8:29
福音書を読むたびに、自分とイエスの弟子たちは似ているなぁと思います。彼らは私と同じように鈍感で、イエスに「まだわからないのか」や「そんなに鈍いのか」と言われ続けなくてはなりませんでした(マルコ7:18参照)。けれども、やっとペテロが分かりました(一部だけですが…)。イエスが「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」とお尋ねになると、ペテロは「あなたは、キリストです」と答えたのです(8:29)。
名演奏家
◆ 民数記26-27
◆ マルコ8:1-21
こういうわけで、……何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
―Ⅰコリント10:31
アメリカの有力新聞は、クラシックギターの演奏家のクリストファー・パークニングについて、「音楽の奥深さを解する感性と、完全なまでの技術を兼ね備えた、今日の卓越した演奏家」と称しています。しかし、パークニングには演奏活動から退いた時期があります。絶頂期の30歳で引退し、モンタナ州に牧場を買い、釣りをして暮らしていました。しかし、この悠々自適の生活は、切望していた満足感をもたらしてはくれませんでした。
問題の核心
◆ 民数記20-22
◆ マルコ7:1-13
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。―ローマ7:18
子どものころに好きだったテレビの漫画に「トム・テリフィック」というのがありました。トムは「考え帽」をかぶって、相棒で驚異の忠犬、マイティー・マンフレッドと一緒に、難題を解決します。いつも諸悪の元凶は、最大の敵、クラビー・アップルトンです。今でもこの悪玉がテレビの中で何と呼ばれていたのかを覚えています。「クラビー・アップルトン、骨の髄まで堕落している。」