寄稿者

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Winn Collier

Winn Collier

ウィン・コリエ氏は、ミシガン州ホランドに家族と住んでいます。 25年間牧師として神に仕えています。ウェスタン神学大学院の教師、ユージン・ピーターソン・クリスチャン・イマジネーション・センターのディレクターも務めています。友人との時間を大切にし、フェアトレードのコーヒー、良質な映画と本、山、問答、森林散策などが好きです。体裁を気にすること、恐れ、不正などは嫌いだと言います。お気に入りのカフェが近所にないことも嫌なことに挙げられると言います。雑誌の寄稿者でもあり、5つの著書(Restless Faith, Let God: The Transforming Wisdom of François Fénelon, Holy Curiosity, the epistolary novel Love Big, Be Well, and A Burning in My Bones: The Authorized Biography of Eugene Peterson.)があります。

寄稿一覧 Winn Collier

誠実な生き方

クロスカントリーの国際試合で、ケニヤのアベル・ムタイ選手は勝利まで数メートルのところで標識を見誤りました。ゴールの手前でゴールだと思い込み、走るのをやめたのです。ムタイを追ってきたスペイン選手イバン・フェルナンデスはそれに気付くと、腕を前に突き出してムタイをゴールさせました。優勝をゆずった理由を記者たちが尋ねると、ムタイが勝者だと述べ、「あんなことで勝っても何の価値があるでしょう。そのメダルに栄誉があるでしょうか。私の母はどう思うでしょう」と語りました。ある記者は「フェルナンデスは勝利ではなく誠実を選んだ」と報じました。

良い知らせの喜び

アラスカ地震は1964年のある夕刻に発生しました。マグニチュード9.2、4分以上の揺れに、アンカレッジ市街は巨大な穴と瓦礫の山と化しました。レポーターのジェニー・チャンスは、恐怖と暗やみの中で一晩中、ラジオニュースを伝えました。森林作業員は妻の生存を知り、キャンプ中のボーイスカウトの少年たちの無事が知らされました。行方不明の我が子の発見を聞いた夫婦もいました。ラジオは廃墟の中で良い知らせを伝えました。

愛の力

1人はドイツ人、もう1人はデンマーク人。80代の2人は、それぞれ60年間の結婚生活の後に配偶者と死別しました。自宅は15分しか離れていないのに、その間に国境があります。ふたりは恋に落ち、家で食事を共にしたりしていましたが、コロナ禍で国境が封鎖されました。それでも毎日、午後3時に静かな田舎道の国境で待ち合わせ、各々の国の側に座ってピクニックをしました。彼らの愛は、国境や感染症より強かったのです。

死を意識して謙遜に

古代の学者ジェロームとテルトゥリアヌスは、ローマ帝国の華々しい戦勝パレードについて語ります。群衆は熱狂して喝采し、凱旋将軍は最高の栄誉に酔いしれました。しかし、将軍の後ろにはしもべがいて、「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)と常に耳元でささやいていたそうです。栄光のただ中での必要は謙遜でした。死を意識して、それを得ようとしたのです。

ばかげた投資

アメリカで経済恐慌が起こった1929年、何百万という人々が全財産を失いました。皆がパニックに陥り最安値で株を売る中、フロイド・オッドラムは、その株を買いあさり、その姿は愚かしく見えました。ところが、その一見ばかげた投資は、数十年にわたり莫大な利益を生むことになりました。

強い敵から救い出す

ジョージ・ヴィヤノヴィッチは、2010年、第二次世界大戦中の功績によって、94歳でブロンズスターを授与されました。セルビア移民の家庭に生まれ、陸軍に入隊し、航空兵らがユーゴスラビアで反乱軍に保護されていると聞くと、両親の故国に向かいました。パラシュートで森に下り立ち、兵士らを見つけ出すと、彼らを小さなグループに分け、セルビア人に溶け込むように服装などを教え込みました。そして数カ月をかけて、1グループずつ、森を切り開いた滑走路で待機している輸送機まで徒歩で送り届けました。大喜びで帰還した兵士は512人でした。

大きな光

タイ人のサッカー少年12人とコーチは、楽しい冒険になると思って迷路のような洞窟を降りていきました。2018年6月某日の午後でした。しかし、水位が急に上昇して、洞窟の奥へ奥へと追い込まれ、救助されて脱出するまでに2週間半を要しました。潜水チームは増水に阻まれながらも救助を決行し、少年たちは小さな岩棚に座り、懐中電灯を照らしていました。彼らは暗闇の中で、何時間も、希望の光が見えることを願っていました。

力強く愛のある

エクアドルのサンガイ山が2020年に噴火したとき、BBC放送は、噴煙は地上1万2千メートルまで達したと報じました。火砕流は、800平方キロ以上の土地を覆いました。火山灰で視界は悪くなり、息苦しさを訴える人もいました。農夫のフェィシアノ・インガは、エルコメルシオ新聞に「空が暗くなって怖くなりました。どこから灰が来ているのか分からなかったのです」と語りました。

試練

標高4,200メートルを超えるコロラド・フォーティナーに初挑戦する息子たちは不安でした。最後まで頑張れるでしょうか。末の子は地面に座り込んで「パパ、もう限界」と何度も訴えました。しかし、私はこの試練は彼らのためだと信じました。父を信じてほしいとも思いました。もう無理だと訴えていた息子は、頂上手前で元気を取り戻し、私たちを追い抜いて一番乗りで登頂しました。不安でも父を信じて正解だったのです。