
忠実な行い
どんな人の場合でも、早すぎる死は悲惨です。ジョーの場合もそうでした。彼は、夫、父親、コーチ、ユースリーダーでしたが、最近は誤った選択を繰り返し、揚げ句の果てに、家族を遺して逝ってしまいました。それで悪い点がクローズアップされがちでしたが、彼の娘は、自分の父親は、皆と同様、欠点はあったけれども、こうやって主に仕えてきたと具体的に述べ、追悼しました。

友人の言葉
当時26歳の私は、バイブルスタディーで発せられる後ろ向きのコメントにがっかりしました。その人たちは、いろいろな問題を抱えていたのです。私は「クリスチャンなのに、前向きでないのはなぜ? 神の約束を知っているのに、明るくなれないの?」と質問しました。永遠の命と天国の約束は当然ですが、その他にも、神は御民を顧みられると、聖書は各所で語っています。牧師は何も言わず、にっこりして、次の話に移りました。私はなぜか、この時のことが長い間、忘れられませんでした。

涙の中の慰め
夜9時頃に母から電話がありました。「お父さんが亡くなった」。覚悟はしていましたが、ショックでした。父は、痛み、苦しみから解放されたのに、それからの数週間、私は悲しみの涙に暮れました。

温かい教会
子どもの頃、毎週日曜日は、朝も夕方も、喜んで、家族と一緒に教会に集いました。私たちの牧師は、子どもの私を歓迎し、私の文章力をほめ、応援してくれました。彼も日曜学校の先生たちも、御言葉を追い求めることを自ら模範になって教えてくれました。夕礼拝には、宣教師などが講演に招かれ、神の働きに参加したいという私の思いをかき立ててくれました。その教会は「コールドウォーター通りにある温かい教会」という牧師が掲げたスローガンがピッタリでした。私たちは完璧でなくとも、神の家族でした。大人になって「ここ!」という教会が見つからない時もありましたが、とにかく教会に通いました。そうやって、信仰を育んできました。
