Category  |  キリストの生誕

クリスマスって何?

アメリカのテレビで「チャーリー・ブラウンのクリスマス」が50年前に初放映されました。テレビ局には、聖書のみことばを引用すると視聴者から苦情が来るのではないかと心配する声がありましたが、作者のチャールズ・シュルツは、これは絶対にはずせないと主張しました。結局、この番組は大ヒットし、それ以来、毎年のように再放送されています。

イエスは まだここに?

コロラド州で2013年6月に起こったブラック・フォレストの山火事で、500戸以上の家が焼失しましたが、テッド・ロバートソンの家もそのうちの一軒でした。避難指示が解除され焼け跡に戻ると、テッドは灰や瓦礫をかき分けて、家族の大切なあるものを探しました。それは切手ほどの大きさの赤子のイエスの陶器人形で、妻の手作りでした。黒焦げの瓦礫をかき分けながら、「赤子のイエスは、まだここにいらっしゃるだろうか」と考えていました。

エジプトを 脱して

祖母の家に行こうと、オハイオ州を横断する旅をしていたときのことです。州の中央に位置するコロンバスに到着したとき、竜巻警報が発令されました。子どもたちに危険が及ぶかもしれないと不安になり、それまでの楽しい雰囲気は一変しました。

近所付き合い

ご近所がざわめいていました。アメリカンフットボールの有名選手が、我が家の二軒先に越して来たのです。テレビで観たり、新聞のコメントを読んだりはしていましたが、まさか、そんな有名人がこのあたりを選んで住むとは思ってもいません。私たちみんなは最初、彼を喜んで隣人として迎え入れ、良い友だちになろうと張り切っていました。しかし、彼の生活は、近所付き合いをするにはあまりにも忙しすぎたようでした。

馬小屋の におい

救い主が誕生された場所が馬小屋だとは、何ということでしょう。イエスが人間として最初に味わった体験は、動物小屋の臭さと騒音でした。飼葉おけに寝かされていたイエスも他の赤ちゃんと同じように、周りから聞こえる動物の鳴き声や知らない人の声に驚いて、泣いたかもしれません。もしそうなら、イエスが生涯に流された多くの涙は、ここから始まったのです。

永続する平和

第一次世界大戦中、1914年のクリスマスイヴのことです。約50キロにわたる西部戦線で銃声がやみました。塹壕(ざんごう)の上から覗き見ると、自分の陣地を修繕したり、死者を埋葬しようと、姿を現した兵士たちがいました。夜の闇が落ちると、ドイツ軍の中には、ランプを灯してクリスマスの賛美歌を歌う連隊が表れました。すると、敵である英国の兵士たちは拍手し、大きな声でクリスマスの挨拶をしました。

本当に 重要なこと

今では独立している子どもたちがまだ家にいたころ、我が家にはクリスマスの恒例行事がありました。それは、簡素ですが、意味深いものでした。私たちは朝、クリスマスツリーの周りに集まり、みんなでクリスマスの物語を朗読しました。ツリーの下にはお互いへのプレゼントがありましたが、その理由は、東方の博士たちが赤ん坊のキリストに贈り物をしたからではありません。私たちがお互いに対する愛を示すために贈るプレゼントは、神の無限の愛を反映させるためです。家族で聖書を朗読したのは、それを忘れないためでした。

素敵な ラッピング

我が家には、毎年恒例のクリスマスイベントがいくつかあります。そのひとつは、子どもや孫たちがわいわい言いながらプレゼントを開くとき、妻のマーティーが「包装紙を破らないでね。来年も使えるから!」と叫ぶことです。マーティーは人に贈り物をするのが好きですが、そのときラッピングも重視しています。見栄えの良し悪しは、プレゼントの良し悪しの一部だと考えているようです。

ちょうど 良い時

指揮者は位置につくと、オーケストラと合唱団の面々を見渡しました。オーケストラの奏者は、それぞれの楽譜を譜面台に載せ、演奏しやすいように座り直して静かに待っています。合唱団の団員も、それぞれの楽譜を整えて歌いやすい姿勢で立ち、楽譜越しに指揮者の指示を待っています。指揮者は彼らの様子を見て全員の準備ができたことを確認し、指揮棒を振り下ろしました。すると大聖堂は、ヘンデルの「メサイヤ序曲」で満たされました。