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感謝する態度

痛みに耐える長年の疲れと自由に身体を動かせない苛立ちが極限に達し、私は不機嫌でした。過度な要求をしがちで、感謝を失っていました。夫の介護の仕方に文句を言い、掃除にケチをつけました。彼の料理は本当に美味しいのに、献立が単調だと大騒ぎしました。ついに夫が、私の不平に傷ついていると言うと逆ギレでした。どれほど苦しいのか分からないくせに…と。やがて、神は私が間違っていると気づかせてくださり、夫と主に謝罪しました。

素晴らしい造り主

神の創造の御業の一端をカメラで撮ることは、私のアマチュア写真家としての喜びです。美しい花びら、輝かしい日の出や日の入り、雲に彩られたり星がまたたいたりする空には、神の指の跡がついていると思います。

祈ること

私は英国の作家G.K.チェスタトンの作品が好きです。彼の洞察力やユーモアにはクスッと笑わされ、同時に深く考えさせられます。たとえば、彼はこう書いています。「人は食前の祈りをすると言います。けれど私は、演劇やオペラの前、コンサートやパントマイムの前、読書やスケッチ、絵画、水泳、フェンシング、ボクシング、散歩、遊び、ダンス、そしてインク壺にペンを浸す前にも、祈ります。」

神のいつくしみをたたえる

聖書をいっしょに学んでいるグループのひとりが、自分たちの詩篇を書こうと提案しました。文才がないと反対する人もいましたが、大丈夫と励ますと、神が自分のために働いてくださったことを賛美する詩をおのおのが書きました。それは感動的な詩の数々でした。苦難からの解放、守り、備え、そして痛みや涙でさえ語るに値するメッセージであり、私たちの賛美になりました。各人の詩篇は、詩篇136篇と同じく、神の愛はとこしえまで、という真理を表していました。

感謝の心を持つ秘訣

私たち夫婦は結婚式の日「健やかな時も、病む時も、順境にも逆境にも固く節操を守る」と喜んで誓いました。しかし、結婚式という華々しい日に、病むとか逆境とか、そういう言葉は縁起が悪いという人がいるかもしれません。けれども人生には苦難の時があります。その現実が、この式文に明示されているのです。

態度に表れる

レジーナは身も心も疲れて帰宅する途中でした。その日は朝から大変でした。友人から悲しいメールが届き、同僚との話し合いは平行線でした。祈っていると、嫌なことはさておき、老人ホームにいる友人のマリヤに花束を持っていこうと思いつきました。マリヤはレジーナが来ると、神は本当に良くしてくださると話しました。彼女は「自分のベッドと椅子、毎日3度の食事があり、介護士さんの助けもある。時々、窓辺に小鳥が来るのよ。神さまは、私が小鳥が大好きだと御存じだから、小鳥を送ってくださるの。私は神さまに愛されているのね。」と言いました。

内側が知りたい

友人のエミリーが「中身を見たい?」と尋ねました。彼女の娘が抱いている古いぬいぐるみを誉めた時のことです。とても興味があったので見たいと即答しました。彼女は人形の頭を下に向けて背中のファスナーを下げると、中から宝物を取り出しました。それはエミリーが子どもの頃から20年以上大切にしてきたぬいぐるみでした。外側の人形は単なるカバーでした。内側にある宝物の人形が、芯となり形を整えていました。

ひと区切りをつける

年の瀬が迫ると片付かない仕事に落ち込むことがあります。家事や仕事には終わりがなく、今日できないことは明日に…と延々とつづきます。しかし、信仰の旅路では時々区切りをつけ、神のご真実と完了した仕事を思って、祝うことが大切です。

感謝日記

信仰を持ったばかりの頃、感謝日記をつけるように勧められました。そこで、小さなノートをいつも持ち歩き、感謝なことがあるとその場で書き留めたり、週末に振り返って書き込んだりしました。これはとても良い習慣なので、久しぶりに再開しようと思っています。そうすれば、神のご臨在を意識しやすく、神が与えてくださったり、守ってくださったりしたことをきちんと感謝できます。