Category  |  神を信頼する

不安が落ち着く

私は心配性です。ほぼ毎日心配しています。大きなことも小さなことも、何でも心配している気がします。10代の頃、両親が予定を4時間過ぎても帰宅しないと言って警察に電話したことさえあります。

批判を静める

私は地域でイベントの実行委員になりました。私たちはイベントが成功するように11ヶ月間、日時と場所、チケットの価格、音響から飲食に至るまで綿密に準備を重ねました。開催日が近づくと問い合わせに対応し、終了後にはアンケートを集めました。私たち実行委員は、参加者の喜びの声を聞き、苦情にも対応しました。否定的な意見にくじけ、辞めたいと思うこともありました。

父の助言

出版社をリストラされ、新しい仕事を求めて神に祈りました。しかし、求職情報を探し履歴書を送っても良い結果は得られず、私は苛立ちました。ついに「私には仕事がどんなに大切か、お分かりにならないのですか」と神に抗議しました。

止まれ

私は友人と波の音がする砂浜に座りました。夕日が遠くに沈む中、伸ばした足の先に波が寄せては返していきます。彼女は微笑んで「海が好きよ。波が動いてくれるから。私は動かなくていいもの」と言いました。何という発想でしょう。多くの人たちは止まりたくても止まれないというのに…。

寝付けない夜

最近、よく眠れません。何度も寝返りを打ち、何とかしようとしますが上手くいきません。次第に、次の日の仕事に影響すると不安になってきます。あなたにも似た経験がありませんか。人間関係や将来の不安など、人は時に、思い悩む生き物です。

いかなることがあっても

人生には、荒波が押し寄せることも、奇跡が起こることもあります。捕囚の民となった3人の若者も例外ではありません。巨大な金の像を礼拝せよと命じられたのです。しかし彼らは、火の燃える炉に投げ込まれても、死ぬことになったとしても、絶対に拝まないと宣言しました。「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、…金の像を拝むこともしません」(ダニ3:17-18)と述べました。

心安らかに耐え忍ぶ

神を信じていても慢性痛と戦っていると、ほんの少しのことで猛烈な攻撃に襲われたように感じます。次から次へと前後左右から打ち叩かれているようです。すぐにはどうにもならなくて気力が萎えていくとき、どこかに逃げ出したいのですが、痛みからは逃れられません。状況を変えたり、己の感情を無視したりもできません。私は神に頼って忍耐することを少しずつ学んでいます。

遠方の地

エミー・カーマイケル(1867-1951)はインドで捨てられた女の子たちを救済したことで知られています。多忙を極める日々の中、彼女には「ビジョンの瞬間」と呼ぶ時がありました。著書「月明かりの金」には「忙しい一日のただ中に『遠く広がった国』を垣間見る時が与えられ、私たちは途上でしばしじっと立ち止まる」と書いています。

やもめの信仰

アピの一日は夜明け前から始まります。中国のホンジャン村に住む人たちにとって、ゴムの樹液は主な収入源のひとつです。多くの樹液を採取するためには、日が昇る前にゴムの木に傷をつけなくてはなりません。村の人たちも、まもなく起き出すでしょう。アピは誰より早く起き、神と交わってから出かけます。彼女は、父と夫、ひとり息子に先立たれ、義理の娘とともに、年老いた母とふたりの幼い孫を養っています。彼女の話は、聖書に登場する、あるやもめを思い出させます。