待つ訓練
待つのは、いやなものです。車の渋滞やスーパーのレジ、病院の待合室など…退屈したり、イライラしたりします。別次元の「待つ」もあります。手紙の返事を待つ、道楽にふける息子(娘)の帰宅を待つ、妻(夫)が変わってくれることを待つなどです。私たちは、願いがかなうときを待ち望みます。
普通の日
博物館で「ある日のポンペイ」という展示を鑑賞しながら、そこで繰り返されるテーマにはっとしました。それは、紀元79年8月24日が、何の変哲もなく普通に始まった一日だった、ということです。当時のポンペイは、人口2万人を有するローマ帝国の港町として栄えていました。町の人々は、家庭や市場、そして港で、変わらぬ日常を過ごしていました。午前8時頃、近くのヴェスヴィオ山から、いくつかの小さな噴煙が目撃され、午後になって火山の大噴火がありました。それから24時間も経たないうちに、ポンペイ市は市民もろとも、深い火山灰の下に埋もれてしまいました。まったく予期せぬ出来事でした。
待っています
エガートン・ライアソン・ヤングは、1700年代にカナダのソルトー族に福音を伝えた宣教師です。ソルトー族の高齢の族長は、この年になるまで聞いたこともなかったキリストの福音を伝えてくれてありがたいと言いました。そして、神がヤングの天の御父であると聞いたので、「そういうことなら、そのお方は私の父でもあるということなのかね」と尋ねました。ヤング宣教師が「はい」と答えると、群がっていた村の人たちが歓声を上げました。
わら無しで煉瓦を
多くの人は、手持ちは十分とは言えない状況の中で、何とか頑張るという課題に直面しています。人手も予算も減り、体も疲れているのに、限られた時間でこなさなければならない仕事の量は、前と同じかさらに増えています。この苦境を、わら無しでれんが作りを強いられたイスラエルの民になぞらえることができるでしょう。
調和
私は5弦バンジョーを弾くのが好きですが、この楽器にはひとつ欠点があります。5番目の弦は、限られた単純なコードとしか音が合いません。他の楽器と合奏してより複雑な音楽を弾くとなると、バンジョー奏者は他の楽器に合わせて弾かなくてはなりません。うまく合わせることができたなら、ジャムセッションにバンジョーの彩が添えられるのです。
本当の偉大さ
自分は大渓谷に転がる小石のようだと感じることはないでしょうか。大したことは何もできない、と思ってはいませんか。しかし、神はそのような人を大いに用いられます。
おめかし
子どもたちが小さい頃、よそ行きの服を着せて教会に行っていたのですが、その準備は大変でした。その上、おめかしをして教会に行っても、10分後には、ひどい恰好になります。自分の息子が、クッキーの食べこぼしで汚れたシャツを半分ズボンから出し、靴のかかとをふみ、めがねをたれ下げて、教会の廊下を走り回っている姿をよく目にしました。「親はどこだ」と他人に思われそうな有り様でした。
天国の視点で
ファニー・クロスビーは、幼少期に視力を失ったにもかかわらず、人々に愛唱される賛美歌を数多く作詞した人です。長い人生で何と9,000曲以上の賛美歌を作りました。「罪とがをゆるされ」や「主なる神にさかえあれ」は、そんな彼女の代表作です。
小さなテント
ロサンゼルスで1949年に開かれたビリー・グラハムの大伝道集会では、大きな天幕が8週間にわたって、毎晩6千人であふれかえっていました。近くには、求道者と個別に話したり祈ったりするための小さなテントも張られていました。ビリー・グラハム宣教団の音楽ディレクターを長年にわたって務め、グラハム師の親しい友人でもあったクリフ・バロウ氏は、「福音の真の働きは、『小さなテント』で起きた」とよく語っていました。伝道メッセージが語られる前や語られている最中、小さなテントの中ではひと握りの人たちが集まって祈っていたからです。地元ロサンゼルス出身のパール・グウドは、この祈りのチームの中心メンバーで、その後、各地の伝道集会でも奉仕しました。