気晴らしと安らぎ
電源を切ってスマホを机に置きました。矢継ぎ早に現れる画像や意見、通知に疲れたのです。しかし、またすぐ電源を入れました。なぜでしょう。
試練を乗り越えて
アンの幼少期は極貧で悲惨でした。2人の赤ん坊の兄弟を亡くし、 5歳で目を患い視力をほぼ失いました。8歳で母を結核で亡くし、兄弟と共に父に捨てられました。貧民窟のような救貧院に入所し、そこで弟を亡くしました。
神に頼りなさい
友だちとウォーターパークに行き、浮き板の障害物コースに挑戦しました。浮き板は滑りやすく踏み込むと弾みがついて、まっすぐに歩けません。よろめきながら坂や崖、橋などを通っていく途中で無残にも水に落ちて大声をあげました。一つのコースを渡り切って疲れ果てた友人が一息つこうと「塔」に寄りかかった瞬間、その重みで「塔」はゆがみ、彼女は勢いよく水に放り出されました。
神は十分以上
エレンはクリスマス一時金に大喜びしました。更に、銀行がクリスマス・プレゼントとして1月分の住宅ローンを返金してくれたのです。彼女の家計は自転車操業だったので本当に助かりました。いろいろな支払いができた上に、クリスマス・プレゼントをして他人を祝福することさえできました。
神はあなたを忘れない
私は子どもの頃、切手を集めていました。祖父はそれを知ると毎日、職場に届く郵便物の切手を取っておいてくれました。そして家に行くと、様々な美しい切手でいっぱいの封筒を渡してくれました。ある時「どんなに忙しくても、お前のことは忘れないよ」と言いました。祖父はシャイで愛情を表立って表しませんが、私は深く愛されていると感じていました。
教会になろう
新型コロナ感染症の流行で人との接触が制限された頃、デイブとカーラは教会探しに苦労していました。カーラの「教会を見つけるには大変な時です」というメールを読んで、私も自分の教会の家族が恋しくなりました。そして「教会で『いる』のは大変な時です」と返信しました。コロナの時期、私たちの教会は形を変えて活発に動きました。近所で食料品を配給し、オンラインで礼拝し、一人一人の教会員に電話もして必要に応えたり祈ったりしました。私たち夫婦は、それらに関わる一方で、変わってしまった世の中で「教会でいる」ために、もっとできることはないかと考え続けました。
偏見と神の愛
ある人に「君は予想に反していた。大嫌いになると思っていたのに、ならなかった」と言われたことがあります。ずけずけとした物言いですが、実は友好的でした。私は彼の国に留学したことがありましたが、昔、私たちの国は敵同士でした。クラスでグループに別れて討論していた時も、彼は距離を置いているようでした。それで、何か失礼なことをしましたかと尋ねると、「全然。でも、そこなんだ。僕の祖父はあの戦争で戦死したから、君の国もその国の人も大嫌いだった。けれども今、僕らはずいぶん似通っているなと気付いて驚いている。友達になれない理由なんて無い」と、彼は答えました。
キリストのように与える
作家のオー・ヘンリーが1905年に発表した『賢者の贈り物』は多くの人の愛読書です。当時、彼はある葛藤を抱えていましたが、その中で「自己犠牲」というキリストの品性に焦点を当てた感動的な物語を書きました。主人公の貧しい女性は、夫に懐中時計の金の鎖をクリスマスに贈ろうと長く美しい髪を売ります。一方、夫は、その時計を売り、美しい髪の妻のためにくしを買っていました。この夫婦の贈り物は自己犠牲です。二人の行いには愛があります。
聖ニコラス
聖ニコラスは紀元270年頃に裕福な家庭に生まれました。幼い頃に両親を亡くしましたが、愛情深い叔父に育てられ、神に従うことを学びました。言い伝えによると、青年ニコラスは、持参金が無くて結婚できない3姉妹のことを聞き、貧しい人に施すというイエスの教えに従いたかったので、相続財産を使って一人一人に金貨を詰めた袋を渡しました。その後、長年、貧しい人の必要を満たすことで残りの財産を使い果たしました。彼の惜しみない施しが、時代を経て、「サンタクロース」を生んだのです。