不安から自由になる
個人や集団、または政府などの違法行為に私たちは過度に反応しがちですが、心に留めておくべきことは、悪いニュースの方が良いニュースよりも「売れる」という現実です。
喜ぶべきでない
ガーナのアカン族には、「トカゲは、石を投げつける子も、そばで面白がって見ている子も、等しく大嫌い」ということわざがあります。他人の不幸を喜ぶ人は、その不幸の原因を作った人と同じであり、更なる不幸を望んでいる人と同じだといいます。
ガラスの浜
カリフォルニア州フォートブラッグに20世紀初頭に住んでいた人たちは、家庭から出たゴミを近くの崖から海に投げ捨てていました。おかげで砂浜には、生ゴミ、空き缶や空き瓶などの不用品が、汚らしく積もっていました。そして、このゴミためは大きくなりすぎて対処のしようもなく、ゴミの投棄がなくなってからも町の恥でした。
名前の由来
アフリカ各国では子どもの名前を、有名な訪問客、特別な出来事など、その子の親にとって意味のあることにちなんで決めることが多いと、ニューヨークタイムズ紙が報じています。重い病のため、助かるか否かは神にしか分からないと医者に告げられた親は、その赤ん坊の名を「神のみぞ知る」にしたそうです。13人兄弟の末っ子の男性の名は、「もう十分」でした。人の名前にはみな由来があり、中には特別なメッセージが込められている場合もあります。
天国の名簿
ケニア航空のチェックインカウンターでパスポートを差し出すと、私の名前は乗客名簿に無いと言われました。予約再確認をしなかったからです。その日、帰宅する望みは露と消えました。
最悪のとき
ウィンヤードというイギリスの男子寄宿学校に通っていた時期が、C.S.ルイスと兄ウォーレンにはありました。校長は冷酷な人だったので、学校中の人はみじめな生活をしていました。ウォーレンは後年、「私は今、64歳を過ぎたところだが、ウィンヤードにいた頃よりはずっとましだ、と言って自分を慰めることができないような境遇になったことは一度もない」と皮肉交じりに語っています。彼のように、あの頃と比べれば…と思い出して今の状況を感謝できる、最悪の時は誰の人生にもあることでしょう。
自分自身を見る
自分の姿を映して見ることができるのは、昔は水溜りや川など、ごく限られた場所でした。しかし、鏡が発明されて状況は変化しました。時代が下り、カメラが発明されると、自分の姿を映すことに関する強い関心は高まりました。写真は人生のあらゆる時の自分の姿を、そのまま保存することが可能です。これは家族の成長を記録するアルバム作りには良いのですが、心の健康にとってはどうでしょう。カメラに写る自分の姿に気を取られていると、外見ばかりが気になって、内側を吟味することをおろそかにしがちです。
外からの助け
出張中の夫がホテルの部屋に落ち着くやいなや、妙な音が聞こえてきました。何だろうと廊下に出ると、近くの部屋で叫び声がします。ホテルの従業員に来てもらって調べると、客が浴室に閉じ込められていました。ドアの鍵が壊れていたのです。閉じ込められた男性は気が動転して呼吸が苦しくなり、助けを求めて叫びました。
豆はいらん
夕食の席でグリーンピースの大皿を回すと、幼かった息子は、「いらん!」とぶっきらぼうに言いました。私たち夫婦は息子に「結構です」と言って欲しかったので、「『いらん』じゃないでしょ?」と言い、マナーを身につけるのは大切だという話をしました。実際、私たちの家庭は、こういう話し合いを大切にしてきました。