嵐を静める
ハリケーン・カトリーナがミシシッピー州の沿岸に迫ってきたとき、ある引退牧師は夫婦で避難場所に向かいました。アトランタの娘のところに行くように勧められたのですが、銀行が閉まっていて旅費を引き出せなかったのです。やがてハリケーンが去り、自宅に身の回りの品を取りに行くと、家は壊れ、父親の写真の入った写真立てが水に浮いていました。牧師がその写真を乾かそうと取り出したところ、366ドル分の紙幣がいっしょに出てきました。ふたり分のアトランタ行き航空券の代金と同額でした。どんなときでも、イエスに頼ることができると学んだ出来事でした。
力を与える賛美
ジョン・フィリップ・スーザは「マーチ王」と呼ばれます。軍楽隊の指揮者であり作曲家で、その作品は、100年以上にわたって世界各地の軍楽隊で演奏されてきました。バージニア・グランド・ミリタリー・バンドの指揮者で音楽史家でもあるローラス・ジョン・シッセルは、交響曲といえばベートーベンというように、行進曲といえばスーザだと評しています。スーザは、音楽には人をやる気にさせ、励まし、奮い立たせる力があると考えていました。
シマリスの叫び
庭に防草ネットを敷いて、その上に玉砂利を敷き詰めようとしていると、シマリスがネットに引っかかっているのに気づきました。私は手袋をはめて、用心しながらハサミで周りの網の目を切り出しましたが、シマリスは私を歓迎しません。後ろ足を蹴り上げたり、噛みつこうとしたりします。私はやさしく、「大丈夫だから、じっとしていて」と言いましたが、まったく通じません。恐れて、暴れるばかりでした。そして、からみついていた最後の網目が切れると、一目散に逃げて行きました。
泥にはまる
両親の墓に花をたむけに行ったとき、夫は、他の車が通れるように路肩に乗り上げて駐車しました。最近、長雨がつづき、そのあたりはぬかるんでいたのですが、帰ろうとして驚きました。タイヤが泥にはまって動けません。エンジンを吹かせば吹かすほど、車輪はどんどん泥に沈んでいきました。車を押す人が必要でした。しかし、夫は肩を痛めていたし、私は退院したばかりでした。離れたところに若者がふたりいるのが見えたので、私は必死で手を振り叫ぶと、彼らは、すぐに来てくれました。そして感謝なことに、力を合わせて、車を道に戻してくれました。
知恵を求める人
大学では、勉学を終えて学位を修得した学生のために、毎年、卒業式を行います。卒業証書を受け取って壇上を降りる卒業生を待っているのは、生易しい社会ではありません。学問だけでは不十分です。人生の成功は、学んだことを賢く適用できるか否かにかかっています。
傷心からの再出発
クロアチアの首都ザグレブにある「失恋博物館」には、世界各地から匿名で寄贈された失恋の品が陳列されています。自分を捨てた恋人の家具を壊したときに使った斧があります。ぬいぐるみ、割れた額縁に入ったラブレター、ウェディングドレスなど、心の痛みを切々と伝えるものばかりです。自分の痛手を思い出して涙しながら去る人がいる一方で、決して裏切らないと、抱き合って互いに誓うカップルもいます。
目を離さない
信仰が育っていくようにと助けている人を指して、「私の弟子」と言っている人がいました。クリスチャンはみな「弟子づくり」という仕事を託されていますが、それは、キリストの福音を伝え、信仰が養われるように助けることです。ところが、つい自分中心に考えがちです。
偉大な癒やし主
知り合いの医師はみな頭が良く、よく働き、思いやりのある人たちです。どこが悪いか診断し、薬を処方し、骨を接合したり、傷を縫い合わせたりしてくれます。彼らは、私の苦痛を何度も取り除いてくれたので、その知識や技術には心から感謝しています。しかし、だからといって、私が神より医師を信頼するかと言えば、そんなことはありません。
一歩近づく
数年前、友人と一緒にホイットニー山にのぼりました。この山は標高4,421mで、合衆国本土で最も高い山です。私たちは夕方になってベースキャンプになる地点に到着し、寝袋を広げて少し休み、翌朝、日の出と共に山頂を目指しました。ホイットニー山は技術を要しませんが、17キロ以上の登り坂がつづく体力勝負の山です。