愛についての問題
思考と感情が喧嘩するときは、しばしば心の判断が通ると「愛の一般論」という本に書かれています。以前は一般的に、人は頭(知性)で心(感情)をコントロールしていると言われていましたが、実はその反対であることが、最近の科学の発達によって分かってきました。要するに、「私たちが何者なのか、また、何者になっていくかは、私たちが何を愛するかにかかっている」というのです。
内に住まわれることば
主日礼拝の聖書朗読、聖書に忠実な礼拝説教、賛美歌、聖書の勉強会、デボーション・エッセー…。これらは、確かに神の真理を教えてくれますが、だからといって、自分で聖書を学ばなくて良い訳ではありません。
豊かに潤された人生
モンタナ州の平原で、農園を営んでいる友人がいます。彼の家に行くには、殺風景な不毛の荒野の真ん中にくねくねとつづく長い小道を通ります。しかし、家に向かって車を走らせていくと、あたりの風景が一変していきます。木々や草花が青々と生い茂る細長いエリアが、農場の中を蛇行しています。北アメリカ屈指のマス釣りの名所である有名な川が農場の敷地内を横切っていて、その川べりでは、どんな草木もゆたかに育ちます。そこで育つものには、絶えることのない命の水があります。あたりの植物はすべて、この水源の恩恵を受けています。
死からよみがえる
法律の上で死んでいる人が、生きていると正式に認められるでしょうか。このことが世界中で話題になったのは、25年間も行方不明だったオハイオ州の男性が出現し、元気だと分かったときです。失踪したとき、この人は失業中で、麻薬中毒に苦しみ、子どもの養育費も長らく払っていませんでした。それで、世間から隠れて生きることにしたのです。しかし、世に復帰しようとしたとき、彼は死んだ状態からの回復がいかに難しいかを知りました。裁判所で死亡を撤回してもらおうとしましたが、死亡届の撤回猶予期間である3年を過ぎているという理由で却下されました。
訪問者
最近、定年退職した人に、毎日会社に行かないようになって、代わりに何をしているのかと尋ねた友人がいました。すると、「私は『訪問者』をしている」と答えたのだそうです。その人は、教会や近所にいた人で病院や介護施設に入った人や、ひとり暮らしをしている人、もしくは、話相手を必要としている人たちを訪問して、一緒にしゃべったり祈ったりしている、と言います。私の友人は、その人の明確な目的意識と他人に対する思いやりに感動しました。
黄色いレインコート
まず目に留まったのは黄色いレインコートでした。茶色の長い髪をした可愛い新入生に、私の心はときめきました。私は勇気を出して、郷里から届いた手紙を読みながら歩いている彼女に話しかけ、ぎくしゃくしながらも、何とかデートに誘いました。断られるかと思いましたが、驚いたことに承諾してもらえました。
ボスは誰
妻が2人の孫の子守をしていたとき、ふたりはおもちゃのことでけんかを始めました。3歳年下の弟は突然、「キャメロン、自分の部屋に行って!」と兄に強く命令しました。その勢いに押されて、兄はしょんぼりと肩を落とし、すごすごと自分の部屋に退散し始めました。しかし妻は「キャメロン、部屋に行く必要はありませんよ。ナタンはあなたのボス(監督)ではないのですからね」と言いました。キャメロンは「なるほど!」と思ったようです。にこにこして再び腰をおろすと、喜んで遊びつづけました。
誕生日のお祝い
誕生日が楽しかった頃がありました。今でも5歳の誕生日のことを覚えています。友だちが誕生会に来るのを、わくわくしながら玄関の外で待っていました。風船やケーキ、プレゼントが嬉しかったのではありません。もう4歳ではなく、大きくなったことが嬉しかったのです。
そう見えなくても
夫が心筋梗塞の発作を起こしましたが、事なきをえました。私たちは神に、彼の生命を救ってくださったことを何度も感謝しました。それから数ヶ月間、多くの人が妻の私に声をかけてくれましたが、私はいつも、「恵まれていると感じているわ」と応じていました。