Category  |  満足感

私たちの分

子どもの頃、母が焼いたパイの分け前をめぐって兄弟げんかをしたものです。ある日、いつもの騒ぎをあきれ顔で見ていた父が、自分の皿を持ち上げると「かあさんの心と同じくらい大きいやつを頼むよ」と言いました。母は笑いながら一番大きなピースのパイを父の皿に盛り、私たちは唖然としました。

完璧な平安

何年も平安と満足を求めてきたと友人は言いました。彼女は夫婦でビジネスを成功させ、大きな家、高価な宝石や服を手に入れ、影響力のある人たちと交友するようになりました。しかし、それらによって心の平安を得ることはありませんでした。そんなある日、心が塞いで絶望的になっていた彼女に、友だちがイエスの福音を伝えました。そして「平和の君」に出会ったのです。その日を境に、平安や満足についての考え方が全く変わったそうです。

最高にお得!

どれだけあれば十分なのだろう…。人々が買い物に夢中になる日、私たちはそう自問します。アメリカでは感謝祭の翌日、多くの店がセールをして、「ブラック・フライデー」と呼ばれます。これが今、他の国にも広まっています。それは生活の苦しい人が、少ない予算で必要な物を入手するチャンスかもしれませんが、欲にかられて走り回るだけという場合も少なくありません。バーゲン商品の奪い合いで、乱闘になることもあります。

この贈り物

何年も前、私は杖のコレクションをしているとエッセーに書きながら、いずれは杖を卒業して歩行器になるかもしれないと思っていました。そして、ついにその日が来ました。腰の問題に末梢神経の障害が加わって、三輪歩行器を押して歩くことになったのです。ハイキングや釣りなど、大好きだったことができなくなりました。しかし、この身体の制約は、それが何であろうと神の賜物です。そのことを今、学ぼうとしています。そして、この賜物を用いて、神に仕えていかなくてはなりません。これは、すべての人に言えることで、制約が肉体、情緒、知性のどこにあろうと同じです。神は弱さの中に現れるので、自分は自らの弱さを誇ると、使徒パウロは大胆にも語っています(Ⅱコリ12:19)。

比べずにはいられない

ハーバード・ビジネス・スクールのデロング教授は、同僚や学生たちが困った強迫観念に捕らわれている、と気づきました。それは、自分を人と比べずにはいられないというものです。どんどんその傾向が強くなっており、企業の幹部、ウォール街のアナリスト、弁護士、医者、また他の専門職の人たちも、自分の成功と他人の成功を比べてばかりいるといいます。教授によると、これは個人にも企業にも良くないそうです。成功の基準が内ではなく外にあると、満足度や献身度が落ちるからです。

学んだ教訓

メアリーは夫に先立たれ、持病もあるので、娘と同居することになりました。住み慣れた土地や友人たちと別れなければなりませんが、神が生活の必要を備えてくださったことを感謝しました。ところが半年ほど経つと、最初の感謝が薄れて不満が芽生え、これは本当に神のご計画だったのだろうかと疑いました。こちらの教会は遠くて自力では行き来できず、クリスチャンの友だちとも離れて、寂しかったのです。

自分をささげる心

ビジネスに成功したクリスチャンが、金持ちになった信仰者の葛藤について、「富は怖い!」と率直に語りました。

私には関係ない

ソーシャル・メディアは便利ですが、満足をくれるツールではありません。少なくとも、私にはそうです。人が自分より先に目標を達成したり、大きな成果を上げたりするのを繰り返し見せられると、自分は自分で良い目標を立てていても落ち込みます。私はそういう傾向があるので、神は不公平ではないと何度も自分に言い聞かせます。私がやり遂げるべき仕事に必要なものは、神がすでに与えてくださっています。

道を踏み外す

ニューヨークの法律事務所のオンライン調査によると、ウォールストリートのトレーダー、投資仲介業者、また投資銀行の行員、その他、金融関係の会社で働く人たちの52パーセントが、何らかの違法行為をしたことがあるか、今はしていなくても、成功するためには仕方がないことだと思っているそうです。その結論は、これら金融界のリーダーたちについて道徳的指針を失っており、企業の不正を「必要悪」として受容していると結論づけています。