山を乗り越えて
こんなことわざを聞いたことがありますか。「速く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」。素敵だと思いませんか。でも、これが真実だという確かな裏付けはあるのでしょうか。英米の研究者によると、目の前にある山を誰かと一緒に見るときは、同じ山を一人で見るときよりも、かなり小さく感じるのだそうです。つまり、助け合いには意味がある、山を小さく見せる力さえ持っているということです。
素晴らしい友
母と裏に住むサンチェス夫人は、仲良し、そして、ライバルです。毎週月曜日、どちらが先に洗濯物を干すかを競います。「負けた!」と言った次の週は、母が先に干します。二人は競争を楽しみ、長い間、両家の間の通路を共同で使うだけでなく、互いの知恵や体験、希望も共有してきました。
孤独な人の友
仕事でロンドンに移り住んだ当初、ホリー・クックには友だちがいなくて、週末は惨めでした。世界的な調査によると、ロンドンは憂うつな町の上位にランクされていて、市民の55パーセントが孤独だと答えています。隣国ポルトガルのリスボンではわずか10パーセントなのに……。ホリーは勇気を出し、つながりを求めて「ロンリー・ガールズ・クラブ」というSNSグループを立ち上げました。すると、約3万5千人が登録したのです。数週間ごとに開かれる少人数の集まりでは、公園でピクニック、絵画教室、アクセサリー作り、ディナー、さらには子犬の外遊びセッションなどが催されます。
深い友情の土台
ケンブリッジ大学のクライスト・カレッジの礼拝堂に、17世紀に活躍した2人の医師、ジョン・フィンチとトーマス・ベインズの記念碑があります。二人は「切っても切れない友人」と言われ、研究中や海外の赴任先でも共に過ごしました。1680年にベインズが亡くなった時、フィンチは、36年間続いた「たましいの結婚」の終焉(しゅうえん)を嘆きました。彼らの友情は、愛、忠誠、献身に彩られていました。
いつくしみ深き友
しばらく会えない間に、旧友はがんだと告知され、治療を始めました。彼の住む州に行く用事が思いがけずでき、再会することになりました。待ち合わせの店に入り、顔を合わせるや、2人の目に涙が溢れました。もう長く同じ部屋で語らっていません。そして今、死の気配が人生のはかなさを暗示しています。一緒に笑ったり、ふざけたり、冒険したり、泣いたり……。長年の数々の思い出がよみがえり、涙がとめどなく溢れました。見つめ合う目から流れるのは、互いの間にある大きな愛でした。
つながっている
マデレイン・レングルは、週1回、母親と電話していましたが、母親の晩年には、より頻繁に電話をかけました。ただ声を聞くためです。マデレインはまた、自分の子どもたちが電話をしてくるのも好きでした。時には真剣な話題を語り合うこともありましたが、電話番号が変わっていないことを確認するためだけということもありました。彼女は、著書『水の上を歩く』の中で「子どもが親に連絡するのは良いことです。神の子である私たちが、天の父なるお方に連絡するのは良いことです」と書いています。
レンタル友だち
世界中で人間関係が希薄になっています。友だちゼロという人の数は、アメリカでは1990年の4倍です。国民の20%以上が独りだと感じている欧州の国もあり、BBCニュースは、刑務所に行けば仲間がいるという理由で犯罪を繰り返す日本の高齢者について報じています。
身に余る贈り物
私が仕事で大変だと聞いた友人から贈り物が届き恐縮しました。とても良い品だっただけでなく、彼女自身、親の介護、子どもの問題、激変する職場、ぎくしゃくした夫婦関係など、相当なストレスを抱えていたからです。自分のことを脇に置いて私の心配をしてくれたのですから、身に余る親切に涙が出ました。
生涯の友だち
英国の詩人ウィリアム・クーパー(1731-1800年)は、自分の教会の牧師で元奴隷商人のジョン・ニュートン(1725-1807年)と友だちになりました。クーパーは、不安とうつ症状に悩み、自死を試みたことも一度ではありませんでした。2人は共に散歩し、神について語り合いました。ニュートンは、目的をもって詩を作ることが良い影響になると思い、賛美歌集の作成を思いつきました。クーパーは『かみのみむねはいともくすし』をはじめ、多くの詩を書きました。2人の友情は、ニュートンが別の教会に赴任してからも続き、クーパーが亡くなるまで、頻繁に手紙のやり取りをしました。