友情
友情は人生に与えられた最高の贈物のひとつです。真の友は、相手のために特別良いものをささげます。人生にとって最高に良いものとは、主を知り、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして主を愛するようになることです。ナチスの時代に殉教したドイツの牧師、ディートリッヒ・ボンヘッファーは「友情の目指すところはもっぱら、神があなたの友に何を望んでおられるかによって決定づけられる」と言いました。
ダビデの友、ヨナタンは真の友情のよい模範です。サウルがいのちをねらって出てきたとき、ダビデは流浪の身でジフの荒野に隠れていました(Ⅰサム23:15)。ヨナタンはホレシュにダビデを探しに行き、ふたりは再会します。ここで重要なのは、ヨナタンが来た目的です。彼は、ダビデが神にあって力づけられるように助けようとしました。聖書が「神の御名によってダビデを力づけた」と語るとおりです(16節)。
これがクリスチャンの友情の本質です。気が合ったり、共通の趣味があったり、話をしたり、笑ったりというだけでなく、永遠のいのちのみことばを相手の心に植えて、神の知恵を思い出させ、みことばで心をリフレッシュさせ、神の御名によって力づけるという関係です。
友のために祈り、友にかけるふさわしい言葉を主が与えてくださるように願いましょう。友が主とみことばから新たな力を得ることができるように、時にかなった言葉を、あなたの口に上らせてくださいますように。
すがすがしい率直さ
母の良いところはたくさんありますが、率直なところは特に好きです。母の意見を聞こうと電話をすると、彼女はこう言います。「本当に私の意見を聞きたいのでないなら、聞かないでちょうだいね。あなたに気をつかって、色よいことを言ったりしませんよ。本当に思っていることしか言いませんからね。」
世の中には、保身のために言葉をあいまいにする人が多いので、彼女の率直さは、すがすがしい気分にしてくれます。率直さはまた、真の友情の特質です。真の友は、真実を優しい態度で告げてくれます。たとえそれが、耳障りなことでもです。箴言も「…愛する者が傷つけるほうが真実である」と語っています(箴27:6)。
真実を優しく告げてくださることは、イエスが最高の友であるひとつの理由です。サマリヤの女が井戸端でイエスに会いました。イエスは、どちらでもよいのに意見が対立している小事にはかかわらず、彼女の心の深い部分にある一番大切なことを取り上げられました。イエスは、神は霊ですからと語って信仰のチャレンジを与えられました。また、この女性は、人生の夢が破れて深い失望の中にいましたが、イエスは、そのことについても優しく語りかけられました(ヨハ4:7-26)。
神とともに歩むとき、神が聖書のみことばを通して、私たちの本音に率直に語りかけてくださいますように。悲しみや苦しみの中にいるときも、神と向き合い、神の恵みによって助けられますように。
誠実な友だち
◆ レビ記5-7
英単語の変遷を追跡する専門家は、2009年の新オックスフォード・アメリカ英語辞典の「ワード・オブ・ザ・イヤー」(今年の言葉)に「unfriend」(「友」を意味する単語に否定の接頭詞をつけた)を選びました。そしてその意味を、「フェイスブック」のようなインターネットのソーシャル・ネットワーキング上の「友だち」を、その設定から除外するということと定めました。