ますます
今日、不況が続く世の中でこだまする声は「縮小、縮小」です。政府は財政を切り詰めるよう求められ、人々はエネルギーの消費を控えて、限られた資源を大切にするよう促されます。それは誰もが傾聴すべき良いアドバイスです。しかし、信仰の世界においては、愛と恵みと力は不足することはありません。ですから、クリスチャンである私たちは神の愛をますます行動で示すよう促されています。
愛が届く
ずいぶん前のことですが、こんな漫画がありました。仏頂面の老人が、しわくちゃのパジャマを着て玄関に立っています。彼は夜の戸締りをしたところでした。カギが4つ、南京錠2つ、それにドアチェーンという用心深さです。そのとき老人は、小さな白い封筒がドアの下にはさまっているのに気づきました。封筒には大きなハート型のシールが貼ってありました。バレンタインです。愛が彼の元に届いたのです。
私が残していくもの
ある日、妻が職場に電話をかけてきて「お隣で何かあったみたい。たくさんの車が来てるの」と言いました。隣人の職業を考えて最悪の事態を恐れました。悪い予感は的中しました。隣人のトレバー・スロット氏は警察官でしたが、ふたり組の銀行強盗を逮捕しようとして殺されたのです。近所の人たちみんなが、大きなショックを受けました。
正義と公平だけでなく
イギリスの労働者は19世紀、劣悪な環境のもとで働きました。大人だけでなく子どもまでが、昼は危険な工場で働き、夜は汚い貧困街の自宅へ帰っていきました。多くの工場主は、労働者の福利厚生に無関心でした。
家族の一致
◆ エゼキエル書34-36
私たち家族には面白い習慣があります。それは家族全員が家にいるときに、誰かが「ファミリー・ハグ!」と大声で叫びます。そんなときは大抵、みんな台所にいるので、私はすぐ子どもたちをハグし、夫は私たちみんなに腕をまわしてギュっと抱きしめます。こうして、私たちは互いに対する愛や、家族がひとつであることの喜びを表現します。
こうして時々一体感を楽しむ私たちでも、家族の一致を常に保つのは、容易ではありません。結局のところ、家族はそれぞれ別の人間です。各々に異なった個性があり、必要があり、考え方を持っています。神の家族も同じことです(エペ4:11-12)。
それぞれに違っているという現実は避けられないにもかかわらず、使徒パウロは、「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」と、私たちに呼びかけます(3節)。クリスチャンの和合が大切である理由は、それが主イエスと天の御父が一体であることの反映だからです。イエスは信じる人たちのために、「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです」と祈られました(ヨハ17:21)。
神の家族の間で問題が起こったときには、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」なさいと、聖書は教えています(エペ4:2)。これが、信仰の根本的な原理をともに信じる人たちが、神の家族の一体感を体験する方法です。
私たちの心は、キリストの愛によって結ばれている。
善を見ならいなさい
◆ エゼキエル書25-27
大抵の人は、人生は悲喜こもごもだと認めています。結婚生活や友人関係、家庭や職場、教会においてもそうです。ところが、キリストを礼拝し、キリストに仕えることを求める人たちの集まりの中で、自己中心性がむき出しになると、私たちは驚き落胆します。
使徒ヨハネは、友人ガイオに宛てた手紙の中で、真実な行いをし、気前良くもてなしている教会の人々を褒めています(Ⅲヨハ1:3-8)。ところが、「彼らの中でかしらになりたがっている」(9節)デオテレペスは、その教会の中にとげとげしい雰囲気を作り出していました。
ヨハネは、次に教会を訪問する時はデオテレペスに意見をすると約束し、教会の人たちには、「愛する者よ。悪に見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です」(11節)と語って、彼らを励ましました。このヨハネのことばは、パウロがローマの教会に語ったことば、「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ロマ12:21)と一致しています。
対立が過熱すると、やられたのだからやり返す、という誘惑にかられます。けれどもヨハネは、悪い態度や行いから離れて、良い態度や行いをすることを熱心に勧めています。これこそが、救い主に栄光を帰す道です。
光は闇に打ち勝ち、善は悪を打ち負かす。