与えられた名前
家族には、それぞれの物語があります。我が家の逸話のひとつは、私の名前に関するものです。私の両親は結婚してしばらくの間、長男の名前について意見が一致していませんでした。母は息子に夫の名前を継がせたいと願っていましたが、父は息子の名を「〇〇ジュニア」にしたいとは思っていませんでした。ふたりは話し合いを重ねた結果、父の誕生日に息子が生まれた場合のみ、彼の名を継がせるという妥協案で合意しました。ところが驚いたことに、私は父の誕生日に生まれたのです。それで、私の名前は父と同名で「ジュニア」がついています。
イエスの 名によって
家族で食事をしたときに撮った写真は、私のお気に入りです。ひとつのアルバムに、父と息子である私たち、そして息子の家族たちが集まって、感謝ととりなしをささげた様子が収められています。父は脳卒中を患い言葉が不自由でした。けれどもあの日、父が「イエスの名によって、祈ります」と確固たる信仰で祈るのを聞きました。そして約1年後、信頼する御名を持つお方のもとに旅立ちました。
ふさわしい名前
東南アジアにインドネシアという国があります。インドネシアという国名はふたつのギリシア語の単語を合わせたもので「島」を意味します。インドネシアは190万平方キロメートルの領域に1万7千500の島が点在している島国なので、まったくもってふさわしい国名です。
打ち勝つ
ラジオでセミナーの宣伝をしていました。「死に永遠に勝ち続けよう。その方法をお教えします」と面白いことを言っていました。どんな方法で死に勝ち続けられるというのだろうと、少し興味を持ちました。ダイエットかエクササイズ、または死後の身体を冷凍するという類の話かしらと思いましたが、実は私の聞き違いで、正しくは「借金に勝ち続け…」でした。(注:英単語の「死」と「借金」は音が少し似ています。)
最高のニュースは、イエスが私たちの負債を支払ってくださったので、私たちは死に打ち勝つことができるというものです(Ⅰコリ15:55-57)。罪という負債があると、神から切り離されています。しかし、イエスは自らすすんで十字架にかかり、ご自分のいのちで私たちの負債を払ってくださいました。マグダラのマリヤと他のマリヤは、イエスの死から3日目にイエスが葬られた墓を訪れましたが、御使いが現れて「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです」と語るのを聞きました(マタ28:6)。ふたりは大喜びで弟子たちにそれを知らせに行きましたが、その途中、イエスがふたりの前に現れました。主は「平安あれ」(口語訳 9節)と言われました。イエスは復活され、イエスに従う人たちには喜びが与えられました。
イエスは死のとげを取り去られました(Ⅰコリ15:55)。神の御子イエスの死と復活を信じるならば、私たちもまた勝利します。イエスの完全な御業によって、私たちは永遠に死に勝ち続けられます。