Category  |  信仰/信頼

皆無事です!

エンデュアランス号は1915年1月、南極沿岸で氷塊に囲まれて座礁しました。アーネスト・シャクルトンを隊長とする探検隊のメンバーは、三隻の救命艇に乗り移って脱出し、エレファント島に漂着しました。しかしここは無人島で、正規の海路から遠く離れています。そこで1916年4月24日、シャクルトンと5人の同伴者は、22人の仲間たちに見送られ、小さな救命ボートで1,300キロほど離れたサウス・ジョージア島を目指しました。これは生還する唯一の望みであり、また大胆な試みでした。何と嬉しいことでしょう。4か月後、船が地平線に現れ、「皆元気か!」と叫ぶシャクルトンの声が聞こえました。その返事は、「皆無事です。皆元気です!」でした。

チェスの達人

高校時代、チェスの腕前には自信がありました。クラブに所属し、昼休みには仲間と対局したり、指南書を熱心に読んだりしたものです。テクニックを磨き、ほとんどの試合に勝ちました。ところがチェスを離れて20年後に、チェスの達人に出会いました。彼は高校時代からずっと研鑽を重ねていました。私は、極めた人と対戦するとはこういうことかと教えられました。自分が自由にコマを動かせる立場にあっても、どんな作戦を立てても無益でした。私の作戦はことごとく、極上の技によって、彼の作戦を成功させるために利用されました。

神のいつくしみ

ロジャーは災難つづきでした。心臓弁膜症を治療する開胸手術を受けましたが、1~2週間で合併症を起こして再手術となりました。リハビリを始めてようやく回復し始めた頃、自転車で転んで鎖骨を骨折しました。それだけではありません。彼はこの最中に母を亡くすという悲しみも味わったのです。ロジャーは失意のどん底でした。小さいことの中にでも、神を感じたことがありますかと尋ねられて、この時期、そんな風にはとても思えなかったと言いました。

隠された神秘

自然界で起こっていることの大半は、目にすることができません。見るには小さすぎたり、速すぎたり、逆にゆっくりすぎたり、という動きだからです。ところが、映像作家ルイ・シュワルツバーグは、文明の利器を使って、毛虫の口、ミバエの目、きのこの成長過程などをカメラに収め、驚くような映像の世界を作り上げました。

水の上を歩く

操船を習ったとき、レッスン用の小舟まで、ぐらぐら揺れる浮きデッキの上を歩きました。私はバランス感覚が悪いので、デッキと舟の間に落ちそうで、舟に渡るのをちゅうちょしました。あきらめそうになったとき、「私をしっかり見て」とインストラクターに言われました。「私はここにいます。あなたが滑ったら捕まえてあげます。」私は言われた通りにしました。そして、初級船舶免許を取得したことは、ちょっとした自慢です。

嵐を静める

ハリケーン・カトリーナがミシシッピー州の沿岸に迫ってきたとき、ある引退牧師は夫婦で避難場所に向かいました。アトランタの娘のところに行くように勧められたのですが、銀行が閉まっていて旅費を引き出せなかったのです。やがてハリケーンが去り、自宅に身の回りの品を取りに行くと、家は壊れ、父親の写真の入った写真立てが水に浮いていました。牧師がその写真を乾かそうと取り出したところ、366ドル分の紙幣がいっしょに出てきました。ふたり分のアトランタ行き航空券の代金と同額でした。どんなときでも、イエスに頼ることができると学んだ出来事でした。

シマリスの叫び

庭に防草ネットを敷いて、その上に玉砂利を敷き詰めようとしていると、シマリスがネットに引っかかっているのに気づきました。私は手袋をはめて、用心しながらハサミで周りの網の目を切り出しましたが、シマリスは私を歓迎しません。後ろ足を蹴り上げたり、噛みつこうとしたりします。私はやさしく、「大丈夫だから、じっとしていて」と言いましたが、まったく通じません。恐れて、暴れるばかりでした。そして、からみついていた最後の網目が切れると、一目散に逃げて行きました。

不可能に直面する

私たち夫婦が築40年の自宅を売りに出したとき、イギリスの不動産価格は下がっていたにもかかわらず、2週間後には良い値で買い手が付きました。私は家を相続したので改築して移り住むことにし、施工業者が工事を始めました。しかし、自宅の売買は、契約が完了する数日前に買い手が手を引き、流れてしまいました。私たちは途方にくれました。二軒の家を所有しているものの、その片方は値が落ちていて、もう一方は、そのままでは売ることも住むこともできない廃屋です。新しい買い手が見つかるまでは、改築業者に払うお金もありません。どうすることもできない状況でした。

揺るぎない信仰

私たち夫婦には、それぞれ100歳を超える祖母がいます。祖母たちや、その友人たちと話をすると、ある共通点に気づきます。それは、懐かしそうに苦労話をすることです。大恐慌や第二次世界大戦、暴風雪、屋外トイレ、そして古いパンと缶スープばかり食べていた貧乏な大学生活、といった苦しい体験を、懐かしむように語ります。