Category  |  信仰/信頼

うなる思い

ずっと昔、父とテキサス州のビッグ・ベンドをハイキングしました。そこは現在、国立公園ですが、当時は荒れ地でした。ある晩、寝袋を出していると犬を連れた夫婦がやって来て、近くにテントを張りたいと言ってきました。私たちは、どうぞと言って彼らを歓迎し、やがて夜になりました。彼らは、犬を自分たちのテント脇の金具につなぎ、眠りについたのです。

安全ベルト

私ならば絶対にしないことに、最近トライした同僚がいます。バンジー・ジャンプです。その同僚の話は、興味深くも恐ろしくもありましたが、ゴムロープ一本で吊るされ、何十メートルもの高さから真っ逆さまに飛び降りるなど、どう考えても楽しいとは思えません。それはさておき、同僚の話によると、ジャンパーはゴムロープだけではなく、ふたつ一組の頑丈な装着帯をつけていて、それが命綱なのだそうです。確かな設計と過酷なテストをクリアした安全ベルトをつけることによって、彼は安心して谷に向かって飛び降りることができたのです。

前線で率いる

スティーブン・アンブローズの著書『バンド・オブ・ブラザーズ‐男たちの深い絆‐』は、米国陸軍E中隊を追ったノンフィクションです。ジョージア州での軍事訓練から1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦、そして、欧州戦勝の日までの軌道が記されています。この期間の大半、E中隊を率いたのはリチャード・ウインターズでした。ウインターズは、自分が先頭に立って部隊を率いる優れた指揮官でした。戦場のウインターズがよく言った言葉は、「俺について来い!」です。他の指揮官なら、自分は安全な場所にいて、部下たちが戦ったかもしれません。しかし、E中隊の場合、先頭にいるのは指揮官のウインターズでした。

聖なる方向転換

自分のこだわりを貫こうとするほうなので、決められたスケジュールに何かが割り込んでくると、私の心中は穏やかではありません。それ以上に困るのは、人生の進路が大きく転換させられることです。それは時として痛みや不安をもたらします。しかし、神は、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる」と言われます(イザ55:8)。こうおっしゃる神は、私たちには転換が必要であり、もし、自分の考えに固執し続けるなら、より良い人生を送ることができないことをご存知です。

ヨセフについて考えてみましょう。神はヨセフをエジプトに送られました。神の選びの民を飢饉から救うためです。モーセはどうでしょう。彼は、パロの家の華やかな生活から方向転換させられ、荒野で神と出会いました。神の民を約束の地へ導く準備をするためです。

ヨセフとマリヤはどうでしょう。このふたりは、この世で一番重大な方向転換を天使によって告げられました。マリヤの産む赤子は、「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」だというのです(マタ1:21)。ヨセフは、自分の存在の目的が自分の思いをはるかに超えた大きいものであることを信じて、この大転換を受け入れました。そして、命じられたとおり「その子どもの名をイエスとつけ」ました(25節)。後に続くのは、素晴らしい歴史の真実です。

自分の思い以上に大きな神のご計画を信頼することは、私たちにもできます。神のご計画は、私たちの思いをはるかに超えた良い働きを、私たちの人生に刻んでくださるからです。

風と火

屋外で火をおこそうとしても、風が吹き消してしまうことがあります。ところが風は、火を燃やし続けようとするなら、それを助けてくれます。前者では、風は私のしたいことを邪魔する「悪い人」であり、後者では私を助けてくれる「良い人」です。

どの道を選ぶ?

私は道に迷っても、なかなか誰かに尋ねようとしません。何とか頑張れば、最終的には目的地にたどり着けると思うからです。一方、妻のマーティーはすぐに誰かに尋ねます。そして、どうしようもなく道に迷っているのに、それを認めたがらない夫の態度が理解できずにいます。結局のところ、彼女の方が賢いのです。彼女のほうが早く、そして平安な心で目的地に着きます。一方、私はいつまでも道に迷っているのです。

恐れが忍び寄るとき

娘が「ママ、虫!」と叫んだので、娘の指差す方を見ると、ペットショップ以外では見たこともないほど大きなクモがいました。私はもちろんですが、クモもこの家にいてはいけないと悟ったようでした。張り詰めた空気の中でクモと向かい合ったまま、私は身動きひとつできませんでした。脈が速くなるのを感じ、息を呑んで、大丈夫だと自分に言い聞かせました。それでも恐怖で凍りついたように、じっとしていました。

ルツの選択

聖書の時代、夫を亡くした女性は貧しい暮らしを強いられました。ルツと姑のナオミも例外ではありません。しかし、神はご自分の大きなご計画にルツを組み入れながら、ふたりの生活を守るように計らわれました。

タイタニックⅡ号

マーク・ウィルキンソンは、釣りやクルーズをするために約4.9メートルの船を購入しました。彼が迷信深い人でないことは明らかです。なぜなら、1912年、氷山に衝突して沈没した悲劇の豪華客船にちなんで、自分の船をタイタニックⅡ号と命名したからです。タイタニックⅡ号の処女航海は英国のドーセット港を出発し、順調でした。しかし、帰路で浸水トラブルに見舞われます。ウィルキンソンは欄干にしがみつき、救出を待ちました。ウィルキンソンはこう話しました。「とんだ恥をかいてしまったよ。たくさんの人に『氷山にぶつかったの?』と聞かれるので、もうウンザリだ。」トラブルの様子を目撃した人も、「そんなに大きな船ではありませんでした。冷蔵庫の氷にぶつかっても、沈没したかもしれません」と話したそうです。

タイタニックⅡ号の話は気の毒ですが、本物のタイタニック号に関しては、過度の信用の恐ろしさを教えています。タイタニック号の建造者は、この船は絶対に沈まないと自信を持っていました。それは、まったくもって間違いでした。エレミヤは私たちに語ります。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ」(エレ17:5)。

私たちは皆、誰かや何かに頼って安心を求めようとしがちです。私たちは何度教えられなければならないのでしょう。偽りの確信を捨てて神に頼らなくてはならないのです。さて、あなたは神以外の何かを頼っていませんか。