励ましの贈り物
マール・ハガードの「12月をやり過ごせたら」に登場するのは、失業して幼い娘にクリスマスの贈り物を買えない父親です。一年で最も楽しいはずの時に、彼はみじめでした。苦難は12月特有ではありませんが、華やかさが増す時は大変です。ちょっとした励ましでも、大きな力になるかもしれません。
何かが変わるために
感謝祭の過ごし方についてゲリーは、家族のみんなが神に感謝していることを順番に話す、と言いました。ランディーは、「家族で賛美をするんだけど、おばあちゃんは止まらなくなるんだよ」と言いました。家族で会食をして祈ると言った人は、父親について、「亡くなった父は認知症だったけれど、感謝の祈りはしっかりしていた」と言いました。エミリーはこれを聞いて羨ましくなり、自分はみじめだと感じて、「うちは七面鳥を食べてテレビを見るだけで、神のことを話したり、感謝することはないわ」と思いました。
12番目の選手
テキサスA&M大学のフットボールスタジアムには、「12番目の選手のホーム」という看板があります。フィールドの選手は各チーム11人ですが、試合の間、立ちっぱなしで応援する何千人ものA&Mの学生たちのことを、12番目の選手というのです。その起源は1922年、観客席にいたある学生が、選手が負傷したときに備えて控えて欲しいと言われたことにさかのぼります。彼は試合に出場しませんでしたが、協力を惜しまずサイドラインに立ちつづける姿に、チームが元気をもらったそうです。
努力をつづけて
息子は読書が大好きです。彼の学校では、課題以外の本を読んだ生徒に賞状が与えられますが、このちょっとした褒美に励まされて、彼は良い習慣を身につけています。
疲れ果てた人へのことば
父親が亡くなって数日後、30歳だったC.S.ルイスのもとに手紙が届きました。20年以上も前、彼の母親が病気で伏せったとき、亡くなるまで看病してくれた女性からでした。その人は、ルイスにお悔やみの言葉を述べるとともに、自分のことを覚えているかと尋ねました。ルイスは「親愛なる看護師のデービソンさん。あなたを覚えているかですって?当然ですよ」と返事をしました。
目に見える弱さ
肩の手術から数週間が経ち、外出しようとしましたが、困ったことがありました。医者やリハビリ療法士に、つり包帯をはずすように言われたのです。これがあるから安心だったのに、怖くなりました。そのとき、「この段階では、負傷者であることを明示する必要のある場合を除き、つり包帯は推奨できない」という説明文が目につきました。そうです。ぎゅっとハグする人や、何も知らずにぶつかる人がいるかもしれません。傷つくのは怖いです。守られていたいのです。
そばに立つ
小学校の卒業式で、ミアーシャは30人のクラスメートと両親が見守る中、硬い表情で講壇に上がりました。校長先生がマイクの高さを調節してくれましたが、彼女は聴衆の方を向くことができません。みんなは「大丈夫。頑張って!」と励ましましたが、ミアーシャは凍りついています。するとその時、クラスメートのひとりが前に出ていき、彼女の横に立ちました。片方に校長先生、もう片方に友だちが立ち、三人はいっしょにミアーシャのスピーチを読み上げました。何とうるわしい光景でしょう。支えるとは、こういうことです。
登りつづけなさい
リチャードは友人のケビンとザイルでつながれて、ロッククライミングをしていました。疲れ果てて、地面に下ろしてくれと頼むとケビンは、ここまで来てあきらめてはいけないと励ましました。リチャードは空中で中ぶらりになりながら、登りつづける決心をしました。すると驚いたことに、再び岩を捕えられたのです。そしてついに登頂しました。励ましという友人のひと押しが、それを可能にしたのです。
最高の喜び
ポッター夫妻は3人の子どもがいる愉快な夫婦でしたが、1956年にオクラホマ・シティーで行われたビリー・グラハム大会に参加して、キリストに人生をささげる決心をし、新しい道を歩み始めました。そしてしばらくすると、自分たちの信仰の証として、キリストの真理を他の人々に伝えたいと思い、毎週土曜日の夜、自宅を開放して高校生や大学生といっしょに聖書を学ぶことにしたのです。