数えることを学ぶ
息子は1から10まで数を数える練習をしていて、おもちゃから木まで、何でも数えます。私が目も留めないもの、例えば、道端に咲く花や私の足の指も数えます。
砂の楽園
現在のアーチズ国立公園(ユタ州)で夏場に自然保護官を務めたエドワード・アビーは、自分史「砂の楽園」を記しました。その巧みな言葉の選び方と米国南西部の生き生きとした描写は、一読の価値があります。しかしアビーは無神論者だったので、卓越した審美眼を持っていても、自然の美しさを表面的に見ることしかできません。生涯、美を賛美したのに、悲しいことにその核心を見逃していました。
着目する
特別なことがあって家に人が来るとき、掃除するのは憂鬱です。きれいになったところは気づかれず、汚れが取れない所は目立つと思うからです。信仰かつ哲学的な疑問のひとつは、「なぜ人は良いことではなく、悪いことに目を留めがちなのか」です。私たちは、人の親切より無礼を覚えていがちです。慈善より犯罪の方がニュースになります。自然の美しさより自然災害の方が、人の心を捕えます。
感謝を忘れる
ギィー、ガァー、ギィー、ガァー。激しい雨の中、ワイパーのきしむ音が私をさらに苛立たせました。生活に必要な現金を調達するために、私は、より安全な愛車を手放し、走行距離約13万キロメートル、子供用の側突エアバッグも付いていない古い中古車を買いました。その時までに貯金は底をつき、自宅も手放していました。生命にかかわる病気の医療費が健康保険では支払われず、家計がひっ迫していました。「神さま、もうたくさんです」と、私は大声で言いました。「横から当たられたら、子どもたちを守ることもできない。何かあったら、どうしてくれるんですか。」
違反きっぷの代わりに
ひとりの警察官が、チャイルドシート無しで幼児を乗せていた女性を停車させました。普通なら違反きっぷを切るのですが、代わりに、近くの店に行くように言い、自腹でチャイルドシートを買ってあげました。彼女は貧しくて、それを買うお金がなかったのです。
豆はいらん
夕食の席でグリーンピースの大皿を回すと、幼かった息子は、「いらん!」とぶっきらぼうに言いました。私たち夫婦は息子に「結構です」と言って欲しかったので、「『いらん』じゃないでしょ?」と言い、マナーを身につけるのは大切だという話をしました。実際、私たちの家庭は、こういう話し合いを大切にしてきました。
これが私たちだ
コーリー・テン・ブームの自伝には、姉のベッツィとナチスの強制収容所で過ごした1940年代初期の恐ろしい体験が記されています。ある時、検査で服を脱がされ一列に並ばされました。ひどい辱めに打ちひしがれていたとき、突然、イエスも裸で十字架にかけられたことを思い出しました。はっとして神をあがめ、「イエス様も裸にされたのよ」と姉にささやきました。ベッツィは息をのみ、「あぁコリー…。そのことを、今まで感謝してなかったわ」と言いました。
生存者の思い
韓国の旅客フェリー沈没事故の際に救出された71歳の女性は、自分が助かったことに自責の念を感じていました。多くの若い命が失われたのに、年配の自分が助かるべきだったのだろうかと、病院のベッドで語りました。また、もうダメだと思ったとき、自分を水中から引き上げてくれた青年の名前が分からないことを嘆いて、「せめて、その人に食事を御馳走したい。手を握り、抱きしめて、感謝の気持ちを伝えたい」と言いました。
健康のために
有名なデューク大学メディカルセンターの研究者によると、「感謝することが『薬』だったなら、すべての主要な臓器に良い影響を与える特効薬として、世界で最も売れる製品になる」のだそうです。