安息への招待状
救急病棟に入院した友人が、ベッドの横で他の患者たちが痛みにもだえ苦しむ声を聞き、心が動揺しているのが分かりました。彼らのために祈りながら、私は改めて人生のはかなさを思いました。古いカントリーウエスタンの歌詞が思い浮かびました。私たちはただ、この世を通り過ぎていくだけなのです。
ハエを撃つような
マカレナ・ヴァルデの地図を描く能力は、2010年10月、チリの鉱山の落盤事故で33人の人たちが閉じ込められたとき、大きく用いられました。彼女は、人々が閉じ込められている場所をドリルで探るのは、「700メートル先からハエを撃つようなもの」だと言いました。彼女自身も鉱山で働いた経験があり、人々が閉じ込められている場所に調査隊を導きました。それが、あの劇的な救助の一助になったのです。
違反きっぷの代わりに
ひとりの警察官が、チャイルドシート無しで幼児を乗せていた女性を停車させました。普通なら違反きっぷを切るのですが、代わりに、近くの店に行くように言い、自腹でチャイルドシートを買ってあげました。彼女は貧しくて、それを買うお金がなかったのです。
天国の名簿
ケニア航空のチェックインカウンターでパスポートを差し出すと、私の名前は乗客名簿に無いと言われました。予約再確認をしなかったからです。その日、帰宅する望みは露と消えました。
水といのち
デイブ・ミューラーが蛇口をひねると水が勢いよく流れ出て、周りにいた人たちが拍手しました。みんなは、村にきれいな真水が初めて来たことを祝いました。清潔な水源を得て、ケニヤのこの村の人たちは、新しい生活を始めることができます。
修繕か交換か?
窓枠が汚くなってきたので、汚れを取り、傷を埋め、紙ヤスリをかけて下地を塗り、奮発して高いペンキを買って塗り直しました。そこそこきれいになりましたが、新調したようには見えません。そう見せたいなら、新品に取り換えるしかありません。
目覚めより素晴らしい
警察の世話になるようなことをして、「世間に顔向けできない。あぁ、自分の人生はもう終わりだ!」と思ったところで目が覚めた、という経験はありますか。もしそれが、単なる悪夢でなければどうでしょう。その状況が、自分自身または家族の誰かの現実だったらどうでしょう。
神はそれほどまでに愛された
第一次世界大戦勃発100周年にあたる2014年7月28日、英国のメディアは4年間の大戦を回顧する討論やドキュメンタリーをいくつも放映しました。連続ドラマ「セルフリッジ英国百貨店」(ロンドンに実在するデパートが舞台)も、1914年、若い店員たちが列をなして軍隊に志願するという挿話を盛り込みました。この自己犠牲をいとわない青年たちの様子を見て、私は胸が詰まりそうでした。兵士たちはあまりにも若く、情熱的です。しかし、恐怖と悲惨の戦場から彼らが帰還できる可能性は、ほとんどありませんでした。
園にて
私の先祖は開拓農家でした。土地を切り開いて種をまき、そこで育てた作物で家族を養いました。我が家には、そんな農家の気質が受け継がれています。農家に生まれ育った父は、庭づくりを好みました。私もガーデニングが大好きです。草花を育て、かぐわしい香りも添えて庭を華やがせてくれるバラの世話をするのは、実に楽しいものです。雑草さえ生えなければ、言うことは何もないのですが…。
雑草と格闘するときはいつも、エデンの園のことを思い出します。そこはアダムとエバが神に逆らうまでは完璧な園でした。しかしそれ以来、いばらととげはアダムとエバ、そして庭の世話をしようとする彼らの子孫を悩ますようになりました(創3:17-18)。
さて、聖書に登場するもう一つの園は、ゲツセマネの園です。キリストはそこで苦しまれました。エデンで生まれた罪の因果を何とかする別の方法をくださいと、もだえながら父なる神に懇願されました。しかし結局は、「どうぞみこころのとおりをなさってください」と激しい苦痛を感じながらも、父なる神に自らを委ねられました(マタ26:42)。そのおかげで、私たちは今日、神のおどろくばかりの恵みを受けています。
私たちの罪を雑草を引き抜くように処理してくださる主に、どうか自分の身を委ねることができますように。