その子をわたしのところに
マークが「神さまを信じていないから教会には行かない」と言い出しました。彼は、無邪気な少年から不機嫌で反抗的な青年に変わってしまいました。それからというもの、マークの両親にとって人生は戦場となり、日曜日は重苦しい日になりました。ついにどうして良いか分からなくなり、カウンセラーに相談しました。すると、こう言われました。「マークは自分で信仰の旅路を歩まなければなりません。親が子を御国に強制入国させることはできません。神に働いていただく余地を作りましょう。祈りつづけてください。そして、待ちましょう。」
そり滑りと祈り
雪が降ると孫を連れて来て、プラスチックのそりでそり滑りをして遊ばせるのが好きです。孫は裏庭の短い下り坂をザァーっと10秒で滑り降り、また登って、そして滑ります。
神が 静かなとき
ミシガン湖に沈む夕陽をよく撮影しますが、その時々によって、やわらかいパステル調になったり、鮮やかな色調になったりします。太陽は、湖の向こうに静かに沈むときもあれば、燃え上がる炎のように沈むときもあります。
遅延は 拒絶ではない
ふたりの息子、アンガスとデービッドの誕生日はどちらも12月です。ふたりは幼い頃に学んだことがあります。アンガスは、12月初めの誕生日に欲しかったおもちゃをもらえなくてもクリスマスにもらえるかもしれないと思い、デービッドは、クリスマスにお目当てのものがもらえないときは、4日後の誕生日にもらえると期待していました。遅延は拒絶ではないのです。
イエスの 名によって
家族で食事をしたときに撮った写真は、私のお気に入りです。ひとつのアルバムに、父と息子である私たち、そして息子の家族たちが集まって、感謝ととりなしをささげた様子が収められています。父は脳卒中を患い言葉が不自由でした。けれどもあの日、父が「イエスの名によって、祈ります」と確固たる信仰で祈るのを聞きました。そして約1年後、信頼する御名を持つお方のもとに旅立ちました。
神にやすらぐ
長男が大学に行くために家を離れることになり、家族が揃って休暇を過ごすのは最後になるかもしれないという夏のことです。海辺の小さな教会で、それなりに小奇麗に身を整えて座っている5人の子どもたちを見ながら、心に愛が満ちて来るのを感じました。私は「主よ、どうぞ彼らの霊を守り、あなたから離れないようにしてください」と、彼らの課題を思いながら心の中で祈りました。
最初の反応
夫のトムが病院に緊急搬送され、手術をすることになったとき、私は家族に次々と電話をかけました。姉夫妻がすぐに来てくれ、手術が終わるのを待ちながら、いっしょに祈ってくれました。トムの妹は、私の心配気な声を電話ごしに聞くと、「シンディー、いっしょに祈りましょう」と即座に言いました。私たちの集っている教会の牧師夫妻も病院に駆けつけてくれて、私たちのために祈ってくれました(ヤコ5:13-16)。
神を待つことを学ぶ
チャ・サスーンは69歳の韓国人女性です。3年間挑戦しつづけて、ようやく試験に合格し、運転免許を取得しました。孫たちを動物園に連れて行ってあげるために、ぜひとも運転がしたかったのです。
たましいの緊急事態
大津波が2011年3月に日本の東北地方の沿岸を襲いました。多くの町や村は流され、1万6千人近い人の生命が奪われました。作家で詩人のグレーテル・エルリックは、その壊滅状況を自分の目で見てドキュメンタリーを書こうと日本にやって行きました。ところが、実際の光景を目にすると、自分には十分にレポートする能力はないと感じました。そこで彼女は、感じたことを詩に綴りました。PBS放送の「ニュースアワー」という番組のインタビューで、彼女は次のように語りました。「私の旧友で今は亡き詩人のウィリアム・スタフォードは、『詩はたましいの緊急事態』と言っていました。」