Category  |  神、教義

ティッシュの箱

手術室の待合に座って思い巡らしていました。ほんの少し前ここに来たときは、たったひとりの弟が脳死だと言われました。そして今日、妻が手術を受けているのです。私は知らせを待ちながら、妻に長い手紙を書きました。周囲はざわざわしていましたが、神の静かな声を聞こうと、私は耳を澄ませていました。

神は気にされないのか

飲酒運転のドライバーが事故を起こしても無傷で、しらふの被害者が重傷を負ったのはなぜでしょう。悪人が栄え、善人が苦しむのはなぜですか。身の回りで起こることに困惑して、「神さま、どうなっているの!」と叫びたいことが何度あったでしょう。

見捨てられたと感じる

クリスチャンを誘惑しようとする老練の悪魔と若輩の悪魔の架空の会話が、C.S.ルイスの著書「悪魔の手紙」の中に記されています。彼らの目標は、クリスチャンの信仰を壊すことです。しかし、先輩悪魔は言いました。「惑わされるなよ。…私たちの仕事が、最もあやうくなるのは、…人間が世界を見回して、神の形跡が全く消え失せたように感じ、なぜ見捨てたのですかと問いながらも、それでもまだ神に従うときなのだ。」

聖書には、忘れられたと感じているにもかかわらず、信仰を貫いた人たちがいます。アブラムは子孫を与えるという約束が反故(ほご)にされたと感じ(創15:2-3)、詩篇の作者も困難の最中で、神に忘れられたと感じました(詩10:1)。ヨブの問題は非常に大きく、神に殺されるのではないかと思いました(ヨブ13:15)。そしてイエスは、十字架から「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました(マタイ27:46)。しかし、神は常に忠実でした(創21:1-7詩10:16-18ヨブ38:1-42:17マタ28:9-20)。

サタンはあなたをも誘惑し、神に見捨てられたと感じさせるかもしれませんが、神はいつも近くにおられます。ご自分の子を決して見捨てられません。聖書は語ります。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブ13:5)。私たちは確信をもって「主は私の助け手です。私は恐れません」(6節)と言うことができます。

バベルの塔計画

いっしょに何を建てているのかと、ふたりの作業員が聞かれました。ひとりはガレージを造っていると言い、もうひとりは大聖堂を建てていると答えました。翌日、レンガを積んでいたのはひとりだけでした。もうひとりはどこに行ったのかと聞くと、「ああ、彼はクビになりました。ガレージではなく大聖堂を造ると言い張ったので…」と答えました。