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生きた手紙

アメリカ合衆国のジョン・F.ケネディ大統領が射殺された1963年11月22日、もうひとりの世界的指導者が亡くなりました。C.S. ルイスです。彼は無神論からキリスト教に転向したオックスフォード大学出身の学者で、多くの作品を世に送り出した作家でもありました。彼は学術書だけでなく、科学小説、子どもでも読むことのできる寓話などを書きました。そのすべてに、キリストを信じる力強いメッセージが込められています。神は彼の作品を用いて、多くの人を改心させました。その中には、政治家やノーベル賞を受賞した科学者もいます。

証人になる

十代のとき、交通事故の目撃者になりました。事故を目撃したことは、その後に体験したことと相まって、衝撃的な思い出です。私はその後の数ヶ月間、事故の唯一の証人として、何人もの弁護士や保険査定員に自分の見たことを話すように求められました。私の役目は、破壊状況を物理学的に説明することでも、医学的外傷を詳細に述べることでもありません。私はただ自分の見たことをそのまま話すのです。

善と悪

友だちと一緒に、旧約聖書の列王記を学びはじめました。教材には歴代の王の名と、彼らがどんな王であったかが書かれた列表があります。それを見ると、イスラエルとユダの王たちの中で「良い」とされた王はほんの少数で、ほとんどが「悪い」、「ほとんどの場合悪かった」、「非常に悪い」、もしくは「最悪」とされる人たちです。

輝くいのち

国際バスケットボール連盟によると、バスケットボールは世界で2番目に人気があるスポーツで、世界中に4億5千万人ものファンがいるそうです。

夜空を照らす

穏やかな秋の日が暮れて、夜のとばりが降りた満月の夜。5万人を超える人たちが川べりに集まって、天灯(てんとう)を飛ばすというイベントが、私たちの住むグランドラピッズ市で行われました。人々は、ともしびを入れた天灯を真っ暗な夜空に放ちました。すると、いくつもの光がまばゆく輝きながら昇っていき、満月に吸い込まれていくようです。多くの人たちは、夜空に輝く芸術をながめていました。

生ける証

ウォッチマン・ニーは1952年、キリストを信仰しているという理由で捕えられ、死ぬまで獄中にいました。1972年3月30日に亡くなったとき、姪がほんのわずかの持ち物を取りに行くと、看守がベッドの横で見つけたという紙の切れ端をくれました。そこには彼の生涯の信仰告白が書かれていました。

「キリストは罪人の贖いのために死に、三日後によみがえられた神の御子である。これは宇宙で最も偉大な真理だ。私はキリスト信仰のゆえに死ぬ。―ウォッチマン・ニー」

使徒パウロもキリスト信仰のために殉教したと伝えられています。死ぬ少し前に書いた手紙の中で次のように述べ、読者を励ましています。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。私は、福音のために、苦しみを受け…ています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(Ⅱテモ2:8-9)

歴史上、何百万、何千万というクリスチャンが殉教しました。私たちは、殉教者になるように召されてはいないかも知れませんが、イエスが自分のために何をしてくださったのかを実証するようには召されています。私たちは、神の恵みあふれる贈り物に感謝して、相手の反応はどうであれ、イエスが自分にしてくださったことを伝えていきましょう。

見られている

高校時代の挫折体験から数十年がたちました。当時、バスケットボールは私にとって非常に大切なことでした。中学時代から代表選手で、何百時間も練習してきました。ところが高校最後の年、私は代表選手に選ばれなかったのです。失意のどん底に突き落とされました。

私は心乱れたまま、記録係としてチームに同行しました。、そして、州大会を戦う仲間が、リバウンドボールを取ったりシュートを入れたりするのを記録しました。正直なところ、チームメートたちが私をどんな目で見ているのか、考える余裕すらありませんでした。日々をこなすだけで、精神的に精一杯だったのです。

そういう状況だったので、当時の同級生たちが弟に言ったことを聞いて驚きました。彼らは、「クリスチャンは違う」、「あれがキリストの姿なんだね」と言っていたそうです。私は、自分の状態を覚えていないので、「私を見習ってください」と言うつもりはありません。むしろ、自分が意識していようがいまいが、私たちは人に見られている、と言いたいのです。

パウロはテトス3章1~8節で、神が造り変えてくださる人生がどのようなものなのか、説明しました。それは、イエスを通して新生し、注がれた聖霊によって更新された人生です。その新生と更新の結果、敬意、従順、親切という品性が、その人に与えられました。

私たちが聖霊に導かれた人生を生きるなら、神は私たちを通して、ご自分を現されます。

実演の効果

生態学者のマイク・ハンズは過去20年間、中米の農家の人たちに、従来よりも効果的な作物の栽培方法を伝授しようと努力してきました。とはいえ、現地の人の多くは、昔から受け継がれてきた焼畑農業をやめることができません。この方法では土壌が痩せ、大気を汚染させてしまうと分かっているにもかかわらずです。

そこでマイクは、ただ言葉で説得するだけでなく、実際にやってみせることにしました。ドキュメンタリー映画「マメの木が森を救う!~焼き畑農業からの脱却~」の中で、マイクは語ります。「いくら教えても、いくら説明してもダメです。やってみせなければなりません。彼らは、実際に自分でやってみて、その結果を自分の目で見なければならないのです。」

使徒パウロも、同じ方法でイエス・キリストの福音を伝えました。コリントの教会に宛てた手紙には、次のように書かれています。「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした」(Ⅰコリ2:4-5)。また、「神の国はことばにはなく、力にあるのです」とも述べています(4:20)。

日々の生活の中で、言行が一致するように神に祈りましょう。私を通してご自分を現してくださいと自分を差し出すなら、神の恵みと愛が力強く現されます。

お話の時間

子どものころ、私は母に絵本を読んでもらうのが大好きでした。母の膝に乗ってページの絵を細部までしっかりチェックしながら、彼女のひと言、ひと言に聞き入りました。次のページに何が出て来るか、それはもうわくわくしたものです。

ところで、私たちの人生もまた、絵本の読み聞かせのようなものだと考えてみたことはありますか。良い時も、悪い時も、どちらでもない時も、周りの人々は「私たち」という絵本を見たり聞いたりしています。私たちの物語は、その口から出る言葉だけでなく、態度や行動を通して伝えられます。順風や逆風、その時々の状況にどう応答するかを、私たちの子どもや孫たち、配偶者や近所の人、同僚などが観察しています。

使徒パウロは、イエスに従うクリスチャンの人生は手紙だと述べています。それは、「すべての人に知られ、また読まれ…キリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ」た手紙です(Ⅱコリ3:2-3)。

周りの人たちは、この手紙を読み、私たちの人生を知るのですが、それは果たして何を語るのでしょう。赦しでしょうか、あわれみでしょうか。寛容、忍耐、もしくは愛でしょうか。

もしあなたが、神の恵みに満たされた人生の喜びを聖霊によって体験しているなら、素晴らしい神の語り部になる喜びも、どうぞ味わってください。