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走り寄る父

息子の帰りを待ちわびていた父は、毎日、家から延びる道の向こうを見ていました。そして夜になると、がっかりして床に就きました。しかし、ある日、小さな点が見えました。やがて赤く染まった空に人影が見えました。あの子ではないだろうか…歩き方に見覚えがあります。そして、あの子にちがいないと思うや、「まだ家までは遠かったのに…彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけし」ました(ルカ15:20)。中東の文化では、族長が走るなどということは威厳を損なうことでしたから、これは尋常ではありません。しかし、この父は、息子が帰還した喜びを抑えきれませんでした。

後に来る罰

ある牧師のメッセージが地方紙に載っていました。その牧師は、紹介されたばかりの年配の男性と「電力会社で働いていたとおっしゃいましたね」といって会話をつづけました。彼が「ええ、そうです」と答えたので、牧師は、子どもの頃に住んでいた家の敷地内に、その会社のケーブルが通っていたと言いました。男性は「どこに住んでいたのですか」と質問し、牧師が答えると、「その家のことは覚えています」ということでした。「あそこは、ケーブルの警告版で苦労しました。上げても、上げても、子どもたちが撃ち落としてしまいましたから。」牧師が、恥ずかしさで顔を赤らめると、「あなたは、あの狙撃犯のひとりでしたか」と言われました。そのとおりだったのです。

お金で買えない物

マイケル・サンデル著「それをお金で買いますか」によると、今日ではお金で買えないものは少ないそうです。例えば、アメリカの刑務所では一泊あたり90ドル(約9,000円)払えば監房がアップグレードできます。絶滅危惧種のサイは25万ドル(約2,500万円)で狩猟でき、かかりつけ医の携帯電話の番号は1,500ドル(約15万円)で手に入ります。ほとんどの物が売り出されているといいます。

赦してもらえない時

刑務所にいる間にキリストに出会った、というふたりの男性と食事をしました。若い方の男性は、自分が盗みを働いた家の人たちから赦してもらえないことにがっかりしていました。

失敗が美に 変えられる

ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコックは駆け出しの頃、音楽界のレジェンドと呼ばれていたマイルス・デイビスのクインテットに加わり、緊張した日々を送っていました。デイビスに育てられるというのは、素晴らしい経験だったと言います。

募る憎しみ

コーリー・テン・ブームの家族は、第二次世界大戦下のオランダで時計店を営みながら、ユダヤ人の家族を守るために活動していました。やがて一家全員がナチスの強制収容所に送られ、父親は10日後に亡くなりました。姉のベッツィーも収容所で死にました。ベッツィーとコーリーは同じ収容所にいて、ベッツィーの信仰は、コーリーの信仰を強くしてくれました。その強い信仰のおかげで、コーリーは収容所の看守だった冷酷な男たちを赦すことさえできました。

再出発

古くなったベッドのマットレスを転売したり再利用したりすることは衛生法で禁じられているため、多くの国では、埋め立て地に廃棄されることになります。しかし、ティム・キーナンは、この問題に取り組みました。そして、古いマットレスから金属、布、発泡ポリウレタンなどを分別してリサイクルさせるビジネスを起こし、現在、十数人を雇っています。それだけではありません。ジャーナリストのビル・ボグリン氏によると、「キーナンがリサイクルしたものの中で…一番は、何人もの人の人生だ。それが一番大きな成功だ」(コロラド・スプリングスのガゼット紙)ということです。キーナンは、社会復帰訓練施設やホームレスシェルターにいる人を雇い、彼らに仕事と再出発のチャンスを提供しています。そして、「僕たちは、誰もが雇いたがらない人を雇います」と述べています。

それはもう思い出さない

クリスチャンになった当初、私はいやな予感に悩まされました。イエスが再臨されたなら、自分のすべての罪は巨大スクリーンに映し出され、みんなに知られてしまうと思っていたのです。

いつまでも続く後悔

才能豊かなピアニストと話していたとき、何か楽器を演奏しますかと尋ねられました。「私が音を出せるのは、ラジオぐらいです」と答えると、彼女は笑って、楽器を弾きたいと思ったことはなかったのですかと尋ねました。私はきまり悪げに、「子どもの頃、ピアノを習っていたのですが、やめてしまいました」と答えました。ピアノをつづけなかったことは、今となっては悔やまれます。音楽が好きなので、ピアノが弾けたらどんなに良いかと思います。このような会話で改めて思わされるのは、人生の選択についてです。それぞれの人生は、多くの場合、自分の選択によって作られ、自らの選択の中には悔やまれるものもあります。