最悪のとき
ウィンヤードというイギリスの男子寄宿学校に通っていた時期が、C.S.ルイスと兄ウォーレンにはありました。校長は冷酷な人だったので、学校中の人はみじめな生活をしていました。ウォーレンは後年、「私は今、64歳を過ぎたところだが、ウィンヤードにいた頃よりはずっとましだ、と言って自分を慰めることができないような境遇になったことは一度もない」と皮肉交じりに語っています。彼のように、あの頃と比べれば…と思い出して今の状況を感謝できる、最悪の時は誰の人生にもあることでしょう。
自分自身を見る
自分の姿を映して見ることができるのは、昔は水溜りや川など、ごく限られた場所でした。しかし、鏡が発明されて状況は変化しました。時代が下り、カメラが発明されると、自分の姿を映すことに関する強い関心は高まりました。写真は人生のあらゆる時の自分の姿を、そのまま保存することが可能です。これは家族の成長を記録するアルバム作りには良いのですが、心の健康にとってはどうでしょう。カメラに写る自分の姿に気を取られていると、外見ばかりが気になって、内側を吟味することをおろそかにしがちです。
外からの助け
出張中の夫がホテルの部屋に落ち着くやいなや、妙な音が聞こえてきました。何だろうと廊下に出ると、近くの部屋で叫び声がします。ホテルの従業員に来てもらって調べると、客が浴室に閉じ込められていました。ドアの鍵が壊れていたのです。閉じ込められた男性は気が動転して呼吸が苦しくなり、助けを求めて叫びました。
豆はいらん
夕食の席でグリーンピースの大皿を回すと、幼かった息子は、「いらん!」とぶっきらぼうに言いました。私たち夫婦は息子に「結構です」と言って欲しかったので、「『いらん』じゃないでしょ?」と言い、マナーを身につけるのは大切だという話をしました。実際、私たちの家庭は、こういう話し合いを大切にしてきました。
私たちとともに私たちの内に
息子が幼稚園に入園しました。登園初日、彼が泣いて嫌がったので、私たち夫婦は「パパとママは、いっしょに幼稚園にいけなくても君のために祈っているよ。それに、イエスさまがいっしょにおられるでしょう?」と言いました。しかし息子は、「でも、イエスさまは、見えないもん」と応えます。そこで夫は彼を抱きしめ、「イエスさまは、君の中におられるよ。君は決してひとりじゃないんだ」と言いました。すると息子は自分の胸に手を置いて、「うん、イエスさまはここにおられる」と言いました。
失望の向こう側
また妹ができると告げられた男の子が、弟がほしくて嘆いている動画が話題になりました。人間の期待は一筋縄ではいかないものですが、世界中にあふれる失望を面白がることはできません。聖書にも失望の話があります。
大賞を取る
どんな分野にも、功績をたたえる大きな賞があります。オリンピックの金メダル、ノーベル賞、アカデミー賞などは代表的な例です。しかし、それ以上の賞を手にするチャンスが、私たちにはあります。
書かれているとおりに
家具などを組み立てるとき、私たち親子のやり方は真逆です。息子のスティーブは機械いじりが得意なので、取扱い説明書を読まずに作業を始めます。私が「はじめにお読みください」というページを熟読しているうちに、彼の作品は半分ぐらい仕上がっています。
永遠に安心
私は、手術を受けた娘に付き添って病室にいました。娘はまばたいて目を開けると、痛みで泣き出しました。腕をさすって安心させようとしましたが、泣き声は大きくなるばかりです。看護師に助けてもらって娘を抱き上げ、ひざの上に座らせました。頬の涙をぬぐってやり、そのうちに必ずよくなると言い聞かせました。