ひょうたん 水筒
アメリカ南部の逃亡奴隷たちは、南北戦争(1861-1865)の前は「地下鉄道」をたどって自由を手にしました。「地下鉄道」とは、奴隷が南から北へ無事に逃れる秘密ルート、およびそれを手助けした奴隷制度廃止論者たちのことです。奴隷たちは、夜の闇にまぎれて何十キロも移動しましたが、そのとき迷子にならないように、「ひょうたん水筒」の明かりを頼りにしました。この「ひょうたん水筒」もまた暗号で、北極星の位置を分かりやすくしてくれる北斗七星のことです。アメリカの黒人霊歌に、”Follow the Drinking Gourd(ひょうたん水筒を追いかけて)”という歌がありますが、この歌詞には、逃亡奴隷の道行きを助ける暗号が隠されていたと考える人もいます。
従うことの 誉れ
エルサレムを訪れた友人が「嘆きの壁」を見に行ったとき、年配のユダヤ教のラビ(先生)がそこを通りがかったそうです。興味深かったのは、そのラビが引き連れていた5人の若者の姿です。その若者たちはラビと同じように、猫背ぎみで足を引きずって歩いていました。その光景は正統派ユダヤ教徒には当然のことです。若者たちがラビのまねをするのは、彼らがラビの「弟子」だからです。
何倍にも したもの
エイミーは5年間癌と戦ってきましたが、ついに手の施しようがなく、余命はあと数週間だろうと医者に告げられました。そこでエイミーは牧師を呼んで、「天国はどのようなところですか」と質問しました。永遠について理解し、確信したかったからです。
馬の力
疾走する馬の力強さ、雄々しさ、美しさを思い浮かべてください。頭をしっかり上げ、たてがみを風になびかせ、四本の足はリズミカルに調和して動きます。そこには力とスピード、そして自由があります。
なきにも 等しい
ヤコブは、自分をそこそこ良い人間だなどと思ってはいませんでした。むしろ、自分は罪にまみれた人間だと思っていました(創32:10)。神の恵みに値しないと思っていました。彼は兄のエサウから長子の権利をだまし取り、兄に恨まれていました(27章)。幾多の年月が流れ、ヤコブは今、エサウに再会しようとしていました。
印象か真実か
どう見えたかが事実そのものだ、という考え方があります。アメリカ人がそのように考えるようになったのは、1960年9月26日からかもしれないと言われます。その日、大統領候補のテレビ討論が初めて行われました。カメラに映ったジョン・ケネディは落ち着いていましたが、リチャード・ニクソンはピリピリしているように見えました。ケネディ氏のほうが強いリーダーのように見えたのです。その討論番組は選挙の行方を決定づけただけでなく、アメリカ合衆国の政治手法を変えました。見た目の印象が非常に重視される時代が到来したのです。
手を 引きなさい!
子どもの頃、リンゴ食い競争に出たことがあります。手を腰の後ろに回して、さおにつるされたリンゴに噛みつき、それを口にくわえてゴールするというものです。手が使えないのでなかなか難しく、手が動くことがどれほど重要か思い知らされました。私たちは食べたり、挨拶をしたり、そのほか生活のあらゆる場面で手を使います。
モザイク
毎年秋になると、私の住む町は3週間にわたってアートギャラリーになります。美術館や画廊だけでなく、ホテル、レストラン、公園、教会、駐車場、道路、そして川の中にまで、世界中から集まった2千人もの芸術家たちの作品が展示されます。
愛とは
婚約中の若者に「彼女を愛しているって、どうしてわかるの」と聞いたことがあります。含みのある質問でした。どうして結婚するのか、自分の本当の気持ちを探ってほしいと思ったからです。しばらく考えて、彼は答えました。「僕の残りの人生を彼女を幸せにするために使いたいと思ったので、彼女を愛しているとわかったのです。」私たちはそれから、彼の言葉がどういう意味か、自分ではなく相手の最善を常に求めるのは、高くつくのだということを話し合いました。本当に愛するなら、そこには犠牲が伴います。