賛美の涙
母の最後の4カ月間をホスピスで介護して見送ったとき、そうできたことを神に感謝し、悲しみからの癒やしを祈りました。感情がもつれて賛美できない時もありましたが、母が息を引き取ると、号泣しながらも「ハレルヤ」とつぶやきました。こんな状況で賛美だなんてと罪意識もありましたが、後年、詩篇30篇を精読して教えられました。
話しかける神
知らない番号からの電話を、通常どおり留守番電話に切り替わるままにせず、出てしまいました。すると、電話の主は聖書の一節を伝えてもよいかと丁寧に尋ねました。そして、黙示録21章3-5節を読んで、神があなたの目から涙をことごとくぬぐってくださると言い、イエスが私たちの保証であり希望だと話しました。私もイエスを信じていると伝えると、彼は伝道目的ではないので、一緒に祈ろうと言いました。そして、神の力と励ましが私の上にあるように祈ってくれました。
弱さの中の強さ
息子が3歳になる頃、私は手術をすることになり、退院後も回復まで1カ月以上かかると言われました。術後、元気いっぱいの幼児の世話をどうすればよいのでしょう。その上、食事の支度です。汚れた皿が積まれたシンクや、ベッドに横たわる自分を想像し、私は自分の不調が家庭に与える影響を恐れました。
深い癒やし
ブラジルのリオデジャネイロを見下ろす有名なキリスト像は、2020年イースター、医師の姿になりました。この感動的な演出は、新型コロナウィルス感染症の最前線で戦っている多くの医療従事者に敬意を示すためでしたが、「イエスは偉大なる医者」という西洋の一般常識を視覚的に表すものにもなりました(マコ2:17)。
イエスの元に走る
パリを旅行中、ベンと友人たちはある美術館に行きました。ベンの専攻は美術ではありませんでしたが、ウジェーヌ・ビュルナンの『復活の朝、墓へと走る使徒ペテロとヨハネ』を見て畏敬の念を抱きました。ペテロとヨハネの表情や手の位置は、言葉は無くても多くを物語っています。彼らの立場になって、その心の興奮を感じなさいと鑑賞する人々に呼びかけています。
イエスにとどまる
ジュノという保護猫をもらいました。大人の黒猫です。正直なところ、私はネズミを退治したかっただけでしたが、家族はペットが欲しかったのです。保護施設の担当者は、最初の週は必ず同じ時間に餌をあげるように指導しました。ここが自分の家であり、必ず餌をもらえる安全な場所だと学ばせるためです。そうすれば、仮に徘徊(はいかい)しても、必ず帰って来るからです。
神が私を強くする
サッカー選手のクリスチャン・プリシッチは、選手生命を脅かすようなけがを何度もしました。チャンピオンズリーグ準決勝の先発メンバーに選ばれず落胆していた時に、神がご自身を現してくださったと言います。「いつもどおり、神に助けを求めると、神は力を下さいました。私はいつも主が共におられるように感じます。その感覚無しに何かをするなど考えられません」と語りました。プリシッチ選手は結局、途中出場し、彼の巧みなプレーで勝利に貢献し、チームは決勝戦に出場しました。彼はここから貴重な教訓を得ました。それは、自分の弱さは、神が計り知れない御力を現される機会となる、というものです。
青石の鐘
青石は多種多様で、たたくと美しい音色を放つものもあります。マインクロホグというウエールズの村がありますが、その名は「鐘」または「鳴り響く石」を意味し、18世紀まで青石製の教会の鐘を使っていました。興味深いことに、英国の遺跡ストーンヘンジは青石で造られており、元々の目的は音楽だったのではと考える人もいます。その独特の音色のために、約300キロも遠方のマインクロホグ近郊から運ばれたと主張する研究者もいます。
きよさは見かけではない
ホセはイエスを受け入れると、弟の通う教会の礼拝に行きました。弟は兄の顔を見るなりうつむきました。Tシャツから入れ墨だらけの両腕がむき出しだったからです。それはホセの過去を表していたので、弟は、長袖のシャツを来て出直してほしいと言いました。ホセは突然、自分は汚れていると感じました。近くで2人のやり取りを聞いていた人が、ホセを牧師のところへ連れて行き、事情を話しました。すると牧師はほほ笑んで、自分のシャツのボタンを外しました。すると胸には大きな入れ墨。彼の過去を示していました。牧師は、神は内側からホセをきよめられたのだから、腕をおおう必要はないと言いました。