犬の落下傘部隊
第二次世界大戦の連合軍に、犬の落下傘部隊があったと聞いて驚きました。地雷をかぎつけて危険を知らせることのできる鋭い臭覚を持つ犬が、ノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日)の準備に貢献しました。当時、犬を敵の背後の部隊に送る唯一の方法は、パラシュートで落下させることでした。しかし、人間と同じように、犬はそれを本能的に怖がります。犬は数週間訓練を受け、主人のひと声で空中に飛び出せるほど、主人を信頼することを学びました。
不安から自由になる
個人や集団、または政府などの違法行為に私たちは過度に反応しがちですが、心に留めておくべきことは、悪いニュースの方が良いニュースよりも「売れる」という現実です。
はっきりとは見えない
友だちのメーガンは乗馬が上手で、馬について興味深いことを教えてくれます。例えば、馬は陸上の哺乳類で一番大きな目をしていますが、視力は弱く、人間より少ない色しか識別できません。そのため、地面にあるものを見分けられないことがあります。例えば棒のようなものがあるとすると、それが安全にまたげるただの棒なのか、それとも危険な大蛇なのか分かりません。そのため、訓練されていない馬は、すぐに怖がって逃げ出してしまいます。
見捨てられたと感じる
クリスチャンを誘惑しようとする老練の悪魔と若輩の悪魔の架空の会話が、C.S.ルイスの著書「悪魔の手紙」の中に記されています。彼らの目標は、クリスチャンの信仰を壊すことです。しかし、先輩悪魔は言いました。「惑わされるなよ。…私たちの仕事が、最もあやうくなるのは、…人間が世界を見回して、神の形跡が全く消え失せたように感じ、なぜ見捨てたのですかと問いながらも、それでもまだ神に従うときなのだ。」
聖書には、忘れられたと感じているにもかかわらず、信仰を貫いた人たちがいます。アブラムは子孫を与えるという約束が反故(ほご)にされたと感じ(創15:2-3)、詩篇の作者も困難の最中で、神に忘れられたと感じました(詩10:1)。ヨブの問題は非常に大きく、神に殺されるのではないかと思いました(ヨブ13:15)。そしてイエスは、十字架から「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました(マタイ27:46)。しかし、神は常に忠実でした(創21:1-7、詩10:16-18、ヨブ38:1-42:17、マタ28:9-20)。
サタンはあなたをも誘惑し、神に見捨てられたと感じさせるかもしれませんが、神はいつも近くにおられます。ご自分の子を決して見捨てられません。聖書は語ります。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブ13:5)。私たちは確信をもって「主は私の助け手です。私は恐れません」(6節)と言うことができます。
私を支える
親と車で旅をしなくなってからは、遠方に住む祖父母を訪ねることがなくなりました。しかしある年の連休、飛行機で行こうと決めて、ウィスコンシン州の田舎町にある祖父母の家に行きました。そして帰る日のことです。空港まで送りに来た祖母が不安気に言いました。「あんなに小さな飛行機に乗るのかい。誰かが下で支えているわけじゃないのに、あれで空を飛ぶなんて、恐ろしいねえ…。」祖母は飛行機に乗ったことがないのです。
あなたの モットーは?
グラグ・クルードはアニメ映画に登場する原始人で、一家の主ですが、自分の洞穴以外に安全な場所はないと信じています。夜は安全のために、家族が身を寄せ合って眠ります。十代の娘の冒険心の芽は、危険なので摘み取らなければならないと思っています。彼のモットーは、「常に恐怖心を忘れるな」、すなわち、「いつも恐れていなさい」です。
つきまとわれる
暗い廊下の角を曲がって階段を上ったとき、壁に映った影を見てハッとしました。誰かが後をつけています。私はその場に立ちすくみました。2、3日すると、同じことがまた起こりました。お気に入りのコーヒーショップを出て、店の裏側にまわったときです。大きな人影が、私に近づいてくるのが見えました。しかし、どちらも笑い事で済ませられることでした。私は自分の影におびえていたのです。
祝福された健忘症
私の書斎は1階にありますが、2階の部屋にたびたび上がっていき、あれこれと用事をします。ところが困ったことに、2階に行くやいなや、何をしに行こうとしていたのか忘れてしまうことがあります。研究者ガブリエル・ラドヴァンスキーは、この現象についての仮説を立てました。戸口は出来事の境界線だというのです。
ばあ!
赤ん坊の親はよく、「いないいない、ばあ!」をして我が子と遊びます。パパは両手で顔をおおうと、「ばあ!」と言う声とともに突然顔を出して、子どもを驚かせます。すると子どもは、この「恐ろしさ」を面白がってケラケラと笑います。