Category  |  苦しみ

不思議に焦点を

世界を見て悪い部分ばかりが目に留まることがあります。しかしナショナルジオグラフィック誌の写真家、デウィット・ジョーンズ氏は、世界の良い部分を撮影して共に喜ぼうとしています。彼は、一条の光が差し込んだり、見方が変わったりして、元々あるのに気づかれなかった素晴らしい面が現れるときを待ちます。そして自然や人間のごく平凡な表情の内に潜む美しさをカメラで捕えるのです。

「しかし」という信仰

悲観的な性分なので、ついつい否定的な結果を想像しがちです。ひとつの仕事につまずくと、他の仕事も失敗するような気がします。そして、柔軟体操をしていても、いつまでも身体は固いままだろうとか、事もあろうに、自分は何ひとつできないひどい母親だなど、全く無関係なことにまで論理の飛躍が生じます。ある分野の失敗が、多くの分野の感情を無意味に左右してしまいます。

どこにでもいて、どこにもいない

友人は私たち夫婦と同じく10代の娘を交通事故で亡くしました。彼女は娘リンジーを思う気持ちを地元紙に投稿しました。彼女は家中にリンジーの写真や思い出の品を置いていると述べた後「彼女は家中にいます。それなのにどこにもいないのです」と記しました。

すぐに駆け付ける

母が癌だと言われたとき夫は職場にいました。それで伝言を残して友人や親戚に電話をしました。しかし誰もいません。震える手で顔をおおい泣きました。「主よ、助けて下さい」すると「私はここにいる」と返事があったように感じ、孤独な瞬間でさえ、慰めがありました。夫が帰宅し、親戚や友人が心配して連絡してきてくれたのはありがたいことでした。しかし、ひとりで悲しみに耐えていたときに神の臨在を感じたことで、私は、いつどこで助けを求めても、神は必ずすぐにそばにいてくださると確信しました。

慰めの手

看護師のメモに「患者あばれる」とありました。心臓手術の麻酔から覚めた後、アレルギー反応が起こりました。私はひどい状態でした。自分で呼吸管を抜いてしまわないように、腕は縛ってありましたが、身体が激しく震えて、そのひもを引っ張りました。ひどく恐ろしく、痛い経験でした。その中で、ベッドの右側にいた看護助手がそっと手を握ってくれました。それは思いがけない出来事でしたが、驚くほどホッとしました。私の身体は緩み、ひどい震えは止まっていきました。

恵みを数えて

私たち夫婦は真剣に離婚を考えたことがありました。しかし、人生を完全にキリストに明け渡すとふたりで決め、やり直そうと誓いました。私たちは賢明な助言を求め、各々が聖霊によって変えられ、夫婦としても作り変えられるよう求めました。神は、健全なコミュニケーションを取る力をつけてくださいました。何が起ころうとも、神を愛し信頼することを教えてくださり、夫婦が愛し信頼し合うことについても学ばせてくださいました。

いつまで待つのか

結婚当初、すぐ子どもが授かると思っていましたが実現せず、不妊の悩みは、私を祈りに駆り立て、「いつまで待つのですか」と神に叫びました。神にはこの状況を変える力があるのに、なぜそうされなかったのでしょう。

翼を広げて舞いかける

ベティーの娘は体調を崩して海外から帰国しました。ペティ―と夫は、あまりに辛そうな娘を見て、救急診療所に連れて行きました。治療が始まって数時間後、看護師のひとりが「大丈夫ですよ。元気になるまで私たちがついています。最善を尽くしますから。」と言ってくれました。ベティーは、心が平安と愛に包まれるのを感じました。彼女は娘の前でおろそろするだけでしたが、主は完全な親なので、ご自分の子どもたちの面倒を見て、苦しい時には慰めてくださることに気づきました。

喜びと苦しみ

幼い息子が初めてレモンをかじったとき、鼻にしわを寄せて目をつぶり、舌を出すと「すっぱ〜い!」と叫びました。私は笑いながらレモンを捨ててあげようと手を伸ばしました。しかし、彼は「だめ!」と言って逃げ出し、顔をしかめながら全部食べると、皮だけを私に渡して去っていきました。私の顔も酸っぱさにゆがみました。