勇士のように歩む
エマは18歳。イエスを信じる喜びについてソーシャルメディアで 堂々と語ります。しかし、彼女の容姿を云々したり、イエスを信じているのは知性が欠けるからと言われたりなど、悪意ある中傷も多々あります。彼女は心無い言葉に深く傷つきますが、それでも大胆な信仰で福音を伝え、イエスに対する愛と隣人に対する愛を語ります。しかし時々、批判する人の言葉で自分を評価しそうになります。そんな迷いがわき起こるとき、彼女は神にすがり、迫害する者のために祈り、みことばを黙想し、聖霊によって力づけられて自信を取り戻し、前進します。
信仰に立って
デズモンド・ドスは第二次世界大戦で徴兵されました。しかし、信仰のために銃を取らず、衛生兵として働きました。敵の激しい砲火をかいくぐり、75人の負傷兵を保護するために奮闘したこともあります。彼の物語はドキュメンタリー『良心的兵役拒否者』や映画『ハクソー・リッジ』になりました。
キリスト信仰の英雄たちの中には、アブラハム、モーセ、ダビデ、エリヤ、ペテロ、そしてパウロなど、勇敢な人たちがいます。アリマタヤのヨセフやニコデモのような静かな英雄もいます。彼らは自らの立場を危険にさらしても、十字架に架けられたキリストのからだを引き取り、丁重に葬りました(ヨハ19:40-42)。アリマタヤのヨセフは弟子であることを隠しており、ニコデモはイエスを夜、訪ねたのですから、大胆な変化でした(38-39節)。彼らはイエスがよみがえる前に、信仰者として立ち上がりました。なぜでしょう。
おそらく、イエスの死に方、また、その直後の出来事によって(マタ27:50-54)、自分の信仰を確信し、人に何をされるかより、神に焦点を当てることができたのでしょう。その理由が何だったにせよ、私たちも彼らの模範に従えますように。信仰のために、また他の人のために、勇気をもってリスクを冒すことができますように。
どんな犠牲を払っても
映画「パウロ 愛と赦しの物語」は、教会の迫害を真っ向から描いています。配役リストには「殴られた女、殴られた男、クリスチャンの犠牲者1、2、3」などがあり、無名の人物を通してでさえ、イエスに従う危険が分かります。
貫いた信仰
ハララン・ポポフの人生は、1948年のある朝、玄関の呼び鈴の音で激変しました。キリスト信仰を理由にブルガリア警察に逮捕され投獄されたのです。それから13年間、鉄格子の向こうで、力と勇気を祈りながら過ごしました。虐待を受けながらもともにおられた主を信じ、福音を仲間の囚人たちに伝え、多くの人が信じました。
悪党を助ける
マンガを原作にした映画は米国内2017年だけで6本もあり、興行収入は40億ドルを超えました。人はなぜヒーロー物に引かれるのでしょう。ひょっとして神の物語に似ているからかもしれません。聖書にも英雄、悪党、救いを求める人々が登場し、多くの魅力的なアクションシーンがあります。
拘束されても沈黙しない
それは1963年の夏でした。公民権運動家のファニー・ルー・ヘイマー と6人の黒人客は、夜行バスで移動した後、ミシシッピー州のウイノナで食堂に立ち寄りましたが、警察によって強制的に追い出され、不当に逮捕拘留されました。その上、暴行まで受けました。ファニーは激しい暴行を受けて瀕死の状態になりましたが、突然「パウロとシラスは牢につながれた。わたしの民を行かせなさい」と歌い出しました。すると身体の自由を奪われてもたましいが解放されている仲間たちが、彼女といっしょに神を賛美しました。
大きな影響を与える
いつもと変わらない朝が、あんな恐ろしい日になるとは。エスター (仮名)ら数百名の女生徒たちは、全寮制の学校から過激な宗教武装組織に誘拐されました。一ヶ月後、解放された生徒の中にエスター だけがいませんでした。キリストを否定しなかったからです。キリスト信仰のために迫害される人々について読んだ私たちの心は強く揺さぶられ、何かしたいと思いました。でも一体、何ができるでしょう。
暗い谷を歩む
ハエ・ウー(仮名)は、国境を越えて北朝鮮を脱出しようとして捕まり、収容所に送られました。残忍な守衛、昼夜を問わない拷問、過酷な労働、ネズミやノミが巣くう冷たい床で、十分に眠ることもできません。しかし、神は毎日助けてくださいました。どの囚人と仲良くして、イエスを伝えるかについても導いてくださいました。
なおも王
この数十年間で、クリスチャンにとって最悪の日と報道されたのは、日曜礼拝に集う人が攻撃された2017年4月の事件です。礼拝の場で流血事件とは言語道断で、まったく理解できません。しかし、この種の痛みをよく知る人の言葉に慰められます。