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私の助け主

長年、人々に感動を届け続けるブルックリン・タバナクル・クワイアー(米国の聖歌隊)のゴスペルに「私の助け」という曲があります。このもとである。詩篇121篇は、信仰告白から始まります。神は世界の創造主であり、この作者を助けるお方です(1-2節)。それは、安定であり24時間体制の守り(3-4節)、常時そばにいて(5-6節)すべての災いから(7節)今よりとこしえまで(8節)守ってくださるという告白です。

聖霊の力によって

山が行く手を阻んでいたなら…。ダシュラス・マンジの実話は感動的です。彼は妻を亡くしました。行く手を山に阻まれ、病院に救急搬送できなかったからです。マンジ氏は村人が同じ悲しみに遭わないために不可能に挑戦しました。22年をかけて山をこつこつとノミで削り、救急病院への道を切り開いたのです。インド政府は、彼が亡くなる前に、その功績をたたえました。

負債を棒引きにするお方

私は医療費の請求書を見て涙をこらえました。夫は長期の失業の後、仕事についたものの給料を大幅にカットされ、この請求の半分だけを精算するにも、月賦払いにしてもらわなくてはなりません。私は祈り、病院に電話しました。そして状況を説明すると、少し待たされた後、主治医が請求をゼロにしたと告げられました。私は涙声でお礼を言いました。寛大な処置に圧倒され、電話を切ると、神を賛美しました。そして、神のあわれみを忘れないために請求書を取っておこうと思いました。

再出発

クリスマスが終わって年末が近づくと、新しい年について考えます。子どもたちが冬休みに入って生活のペースがゆっくりしてくると、その年に起こったこと、来年の目標について思い巡らします。自分の失敗を思い出し、心が痛んだり、後悔したりもします。しかし、新しい年を迎えると思うと、やはり期待に胸が膨らみます。去年はどうであれ、再出発のときだと感じるからです。

信仰を作り上げる記憶

礼拝堂に足を踏み入れ、大晦日の祝賀会に集まった人々を見回すと、様々な祈祷課題が思い出され感無量でした。私たちの教会はみんなで、子どもの非行、家族の死、失業、離婚などの悲しみを分かち合ってきました。一方で、神の恵みも体験しました。人が回心し、人間関係が癒されました。勝利や結婚、卒業、受洗も祝いました。子どもの誕生、養子縁組、献児式、その他にも多くのことがありました。

永続する希望

クリスマスを1週間後に控えていましたが、何もする気には、なれません。2カ月前に母が亡くなったのです。夫が慰めても心が動かず、家族や親戚にとって信仰の柱だった母を失った悲しみに暮れていました。その朝、息子のザビエルは背伸びをして室内のイルミネーションを壁に留めました。そして何も言わずにスイッチを入れると、夫と一緒に出勤して行きました。

どんな時でも神を信頼する

けがの後遺症で慢性的な痛みに20年以上も苦しめられています。激痛の中で神を信頼し賛美するのは容易ではありません。しかし、耐えがたい状況の中でも、神の臨在は私を慰め力づけてくれます。神はとこしえに良きお方であり、御力は無限、御恵みによって平安をくださいます。不信仰の誘惑に駆られるとき、私はシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを思い出します。彼らは非常な逆境の中で真の神を礼拝し、神がともにおられることを信じました。

より良く知る

外国の男の子を養子にした時、大切に育てようと思いました。彼は発育不良だったので、栄養のある食事をさせようと頑張りました。しかし、その努力に反して息子は大きくなりません。約3年が経った頃、彼には深刻な食物不耐性があると分かりました。問題の食材を除くと、彼の背丈は数か月で13センチも伸びました。私は息子の発達を妨げる食べ物を知らずに与えていたと知って悲しみましたが、彼の目覚ましい成長を喜びました。

かくれんぼ

幼い子どもは自分の目を覆って、自分が人に見えないと思ったりします。自分が何も見えないからです。大人にすれば甘い認識ですが、その大人も同じことをしがちです。自分本位な決断をするとき、神から離れようとします。