精根尽き果て
◆ イザヤ書39-40
◆ コロサイ4
私が10代の頃、父と一緒に狩猟や釣りに出かけました。それは幸せな思い出ですが、一度だけヒヤリとする体験をしました。そのとき、私たちは車で高い山に登り、人里離れた場所にテントを張ってキャンプをしました。 そして、長い山道を下って、渓流釣りに出かけました。炎天下の中、私たちは長時間、魚を釣っていました。そろそろテントに戻る時間になって山道を登り始めたとき、父の顔がどんどん青ざめていきました。そして、めまいと吐き気にも襲われ、身体に少しも力が入らなくなりました。
選択の自由
◆ イザヤ書30-31
◆ ピリピ4
米国最大の大学フットボールの試合が、2011年にはユダヤ教の大切な祭り、ヨム・キープルに行われることになりました。それを知ったテキサス大学の学生会は、大学側に日程を変えるようにと嘆願しました。長年の宿敵オクラホマ大学との試合の応援に行くか、それとも大切な聖日を守るかという二者選一を、ユダヤ教徒の学生に迫るのは不公平だからというのがその理由でした。しかし、試合の日程は変わりませんでした。宗教の自由が認められている社会で暮らしていても、各人の信仰が試され、難しい選択を迫られることは必ずあるものです。
灰に埋もれたクリスチャン
◆ 雅歌6-8
◆ ガラテヤ4
以前、「天国へ行ったらイエスに似た者になれるのに(Ⅰヨハ3:1-3)、どうして今、イエスに似た者にならなくてはいけないのですか」と尋ねた人がいました。良い質問です。自分らしく生きる方が楽ならば、なおさらです。
厳粛な務め
◆ 雅歌1-3
◆ ガラテヤ2
最近、裁判員を務めました。裁判員になると、多大な時間が取られて、自分の生活に大きな支障をきたします。しかし、これは非常に重要な働きです。最初の日にはオリエンテーションがあり、裁判官は、この任務が非常に重要で重い責任を伴うものだと説明しました。私たちは裁判員として、刑事裁判の判決を言い渡す立場になるのです。この状況を前にして、自分はこの役目に何と不適切な人間だろうかと感じました。他の人の人生を大きく左右するだろう決断を、私たちがくだすのです。それは、決して単純なことではありません。非常に深刻な事態です。私たち自身が、欠陥のある人間なのですから、常に正しい決断ができるとは限りません。
人生の浮き沈み
◆ 伝道者の書1-3
◆ Ⅱコリント11:16-33
人生は山あり谷ありだ、と言うなら、たいていの人は同意するでしょう。賢い王であったソロモンも、そのとおりだと信じていました。そして、移り変わる状況をどう受け止めるべきか、思いを巡らしました。彼は伝道者の書に「何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。…泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」と記しています(3:1-4)。ソロモンの父であるダビデは「神の心にかなう人」(Ⅰサム13:14、使13:22)と言われていました。それにもかかわらず、彼の人生は、何と浮き沈みの多かったことでしょう。彼は、バテ・シェバとの間に生まれた初めての子どもを病気で失い嘆きました(Ⅱサム12:22)。しかし、賛美と喜び、そして笑いに満ちた都上りの歌も書いています(詩126:1-3)。反乱を起こした息子のアブシャロムが死んだときには、深い悲しみを体験しました(Ⅱサム18:33)。一方で、神の箱がエルサレムに運び込まれると聖霊に触れられて大喜びし、主の前で力いっぱい踊りました(Ⅱサム6:12-15)。
バックは利かない
◆ 箴言27-29
◆ Ⅱコリント10
それはまったくの一目ぼれでした。美しく整ったフォルムで、きらきらと輝いています。1962年製のフォード・サンダーバードを中古車店で目にしたとき、そのピカピカの外装とセンスの良い内装にすっかり心を奪われてしまいました。まさに私のために造られた車です。そこで800ドルを投げ出して、生まれて初めての車を買いました。しかし、私の宝物であるこの車には、問題が隠れていました。購入して数カ月。突然、進行方向に問題が起こりました。前進は出来るのですが、バックができません。バックギアが入らなくなったのです。