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助手大募集

助手という言葉には、一人前ではないというイメージがあります。確かに、電気工や配管工などは、熟練工の助手をしながら見習い修行をします。新人弁護士は、ベテランの助手をしながら経験を積みます。この人たちは、その職業においてそれほど腕が良いわけではないので、見くびられているのかもしれません。しかし、仕事を完成させるためには、彼らの働きも必要です。

子どもへの手紙

人生が終わるときでさえ、C.S.ルイスは若い人の信仰の成長に心を砕いていました。フィリップという男の子の手紙に、病いを押して返事を書きました。フィリップの文章には表現力があると褒め、ナルニア国物語のライオン、アスランがイエス・キリストを象徴していることに気づいてくれたのはうれしいと書きました。その翌日、C.S.ルイスはイギリスのオックスフォード市キルンスにある自宅で息を引き取りました。65歳の誕生日の1週間前のことでした。

人助けについて

放牧地が雪で覆われてしまうと、牧場で働く人たちは家畜の群れに手で餌をやらなければなりません。干し草を荷車やトラックから降ろして与えると、強いものが他を押しのけて前に出てきます。気が小さかったり身体の弱いものは、人が気遣ってやらないかぎり、なかなか餌にありつけません。

岩の中に隠れる

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記38-40
聖書のみことば 詩篇18:30-36
 
主はわが巌、わがとりで、―詩篇18:2

オーガスタス・トプラディーという若い伝道師の物語があります。トプラディーは、イギリスの田舎を散歩していて突然の嵐に見舞われましたが、大きな岩のくぼみを見つけて逃げ込みました。そしてどしゃぶりの雨の中、嵐が過ぎ去るのを待ちながら、自分が逃げ込んだところと人生の嵐における神の助けについて思い巡らしました。

あわれみの手を差し伸べる

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記14-17
聖書のみことば マタイ9:9-13
 
医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。―マタイ9:12

私たちの町の地方新聞のひと隅に1970年代半ば、離婚調停の申し立てと離婚成立の公示が載るようになりました。私たちの教会のフラナガン牧師は、毎週、そこに掲載される多くの名前を見て、それらは単なる文字ではなく、一人ひとりの人間だと強く感じるようになりました。

聖霊を悲しませる

1年で聖書を!
◆ 創世記43-46
聖書のみことば エペソ4:25-32
 
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。―ヨハネ14:16

知らない間に財布からお金が減っていたら、ぎょっとするでしょう。そして、それが我が子の仕業だと分かったら、怒りより悲しみがこみ上げてくるでしょう。「悲しむ」という言葉は、愛する人に失望させられるときの痛みを表現するものでもあります。

忙しすぎることはない

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書42-44
◆ Ⅰヨハネ1
聖書のみことば 詩篇145:8-21
 
主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。―詩篇145:18

学生たちに貸していた妹夫婦の家に、泥棒が入ろうとしたことがありました。住人の女子学生は、まさに泥棒が侵入しようとしていたとき警察に電話しましたが、警察の電話交換手はこともあろうにこう言ったのです。「ただ今、大変込み合っていますから、明日の朝、改めてお電話ください。」何ということでしょう。この女性は助けを求めてすべきことをしたのに、まったく無視されてしまいました。この種の冷たさには本当に憤慨させられます。

希望の探求

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書24-26
◆ Ⅰペテロ2
聖書のみことば 詩篇42:1-11
 
わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。……神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。―詩篇42:5

ミネソタ大学の研究者たちの調査によると、アメリカの10代の若者の約15パーセントは、自分はきっと35歳になる前に死んでいるだろうと思っているそうです。この種の悲観的な物の見方をする人たちは、無鉄砲で奔放な傾向にあるようです。この研究を小児科学会誌に発表したボロスキー博士は、「こうした若者は危険なことをしがちです。なぜなら、絶望感にさいなまれ、自分には失うものなど何もないと思っているからです」と語っています。

感謝

1年で聖書を!
◆ イザヤ書45-46
◆ Ⅰテサロニケ3
聖書のみことば ローマ16:1-16
 
この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。―ローマ16:4

私にとってデーブ・ランドレットは、「今日あるのは彼のおかげ」と言うことができる人です。デーブは2010年10月に天に召されましたが、私が大学時代にイエスを信じたとき、良き助言者であり、相談相手でした。彼は、私のために時間を割いてくれただけでなく、私が主に仕えることを通して学び、成長できるように、リスクを顧みずにチャンスをくれました。大学の賛美チームといっしょに各教会を回り、学生伝道者としてメッセージの奉仕をするというチャンスを作ってくれたのです。 そのおかげで私は整えられ、今も神のみことばを教える人生を歩んでいます。デーブは、私にとって神の選びの器でした。そして私は、彼に何度も感謝の気持ちを伝えることができました。このことを、とてもありがたいと思っています。