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存在という贈り物

ある会社の人事部長になって間もない頃のことです。ひとりのベテラン社員が亡くなりました。私は彼と面識はなかったのですが、葬儀に出席し、遺族を訪問しました。亡くなった人はレンガ職人で同僚から慕われていましたが、夫人のところを訪ねた人はわずかでした。家族を亡くして辛い人に何と言ったらよいか分からないから、みんないたたまれないのだと、誰かが彼女を慰めていました。

架空の友

最近、「神は想像上の友だちだ。現実を見つめよう。そのほうが、みんなのためになる」と書かれた看板が高速道路沿いにあると聞きました。この大それたメッセージが、クリスチャンを揶揄していることは明白です。しかし、神は架空の友でしょうか。

どうでもよい存在

レアは「ヤコブが起きたらどうなるのだろう」と考えながら、一晩中起きていたに違いありません。新婚の夫が朝になって目にしたいのは、自分の姿ではなく妹のラケルだということを知っていたからです。ヤコブはだまされました。そして、罠にかかったと気づくやいなや、意中の女性を求めて、新たな取引をしました(創29:25-27)。

あなたは、自分はどうでもよい存在だと感じたことがありますか。レアの場合はそうでした。彼女が3人の子どもにつけた名前から、それが分かります(31-35節)。ルベンは「子を見よ」、シメオンは「聞かれる」、レビは「結ぶ」という意味でした。彼らの名前は言葉遊びのようなもので、彼女が夫の愛を感じていなかったことを示しています。息子が誕生するごとに、彼女は今度こそ夫は愛してくれるだろうか、と望みをかけました。しかし、レアの気持ちは徐々に変化し、4番目の息子を「ほめたたえる」という意味のユダと名付けました(35節)。きっと彼女は、夫は愛してくれなくても、神が自分を深く愛してくださっている、と気づいたのでしょう。

私たちは、自分の行いによって神の愛を獲得することはできません。神の愛は、私たちの行為次第ではないからです。真理は聖書に記されています。それは、「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」と語ります(ロマ5:8)。私たちは神の目に、天国にある最高の存在を贈るだけの価値があると映っています。天国にある最高の存在とは、神の大切な御子キリストです。

すばらしい足の指

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記17-18
◆ ヨハネ3:19-36
聖書のみことば Ⅰコリント12:14-26

 
たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
―Ⅰコリント12:15

最近、不可解なスポーツの話を聞きました。こんなことに興じる人がいるとは、何とも不思議だと思います。それは「足の指相撲」です。毎年、イギリスで世界選手権が開催され、各国の人々が集まります。選手たちは素足になって、互いに向き合って地べたに座り、片方の足の親指同士を絡ませます。そして、腕相撲が相手の手を机に押さえつけるように、相手の足を床に押さえつけようとするのです。

教会に神の存在を

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書40-42
◆ ヘブル4
聖書のみことば コロサイ1:9-14

 
主にかなった歩みをして、―コロサイ1:10

色々な教会が入り口にスローガンを掲げていますが、私はそれを見るのが好きです。つい最近、「どうぞ、お入りください。そして、神がおられることを感じてください!」というスローガンを見かけ、その言葉に注意を引かれました。なぜならば、これは教会が人々に提示している大切な約束ですが、守るのが難しい約束でもあるからです。気をつけていなければ、教会は神のご臨在を感じさせる場所ではなく、私たちの存在ばかりがクローズアップされる場所になってしまうからです。