印象か真実か
どう見えたかが事実そのものだ、という考え方があります。アメリカ人がそのように考えるようになったのは、1960年9月26日からかもしれないと言われます。その日、大統領候補のテレビ討論が初めて行われました。カメラに映ったジョン・ケネディは落ち着いていましたが、リチャード・ニクソンはピリピリしているように見えました。ケネディ氏のほうが強いリーダーのように見えたのです。その討論番組は選挙の行方を決定づけただけでなく、アメリカ合衆国の政治手法を変えました。見た目の印象が非常に重視される時代が到来したのです。
戸棚の食べ物
友人のマルシアは、ジャマイカ・クリスチャン聾学校の校長です。最近、重要な見解を示してくれました。「祝福されたスタート」と表題のついたニュースレターには、過去7年間ではじめて、昨年度の繰り越しがあったと書かれていました。この繰り越しとは何だと思いますか。銀行口座に一千ドルの残高があったのでしょうか。いいえ、違います。学校の事務用品が余ったのでしょうか。それも、違います。繰り越したのは、戸棚に残った一カ月分の食糧でした。
本当の思いやり
ファミリーキャンプの最初の夜、キャンプ場のスタッフが一週間の予定を説明してから、「ご意見やご質問はありますか」と尋ねました。すると、ひとりの少女が立ち上がり、自分の弟を助けてほしいと必死に頼みました。彼女の弟は特別な援助が必要で、家族の負担は小さくないそうです。両親が大変なので、キャンプの期間、みんなで弟から目を離さないようにしてほしい、と言いました。彼女が家族を心から思いやって頼んでいるのは明らかでした。日が経つにつれて、キャンプに集ったそれぞれの家族は、絶妙のタイミングでこの家族に手を貸すようになっていき、その様子は素晴らしいものでした。
パパ、心配しないで
昨年の夏、私たち夫婦は小児ガン撲滅の研究基金に寄付するために、自宅の庭を開放してコンサートを催しました。ところが当日の天気予報は雨でした。そこで私たちは、コンサート開始のたった数時間前、100名を超える参加者一人ひとりに電話をして、会場を変更すると伝えました。私たち家族や親しい友だちは、会場飾りや機材、食べ物などを我が家から教会の体育館に急いで移動しようと働きました。そのとき、娘のロージが夫のところに駆け寄って抱きしめると、「パパ、心配しなくていいわよ。私たちがついてるから」と言いました。子どもや孫たちを代表して励ましてくれたのです。
そのことばを聞いて、私たち夫婦は慰められました。彼らが「私の目はあなたの目。私の手はあなたの手。とりこぼしややり忘れがあったら、私がすくい上げるから心配ご無用」と言ってくれていると分かり、自分たちがひとりでないことを再確認したからです。
イスラエルの民が奴隷となっていたエジプトから逃げ出したとき、パロは戦車と騎兵を送って追跡しました(出14:17)。しかし、「神の使いは…雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち」ました(19節)。神はこうしてひと晩中彼らを守られたのです。翌日、神は紅海の水を左右に分けられ、彼らはその中を安全に渡っていきました。
神は私たちにも、心配するなと言われます。聖書は「神が私たちの味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ロマ8:31)と語っています。
単純化
◆ Ⅰ歴代誌22-24
◆ ヨハネ8:28-59
あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。―マタイ6:34
バスケットボールのスター選手が、ラジオのインタビュー番組で、勝敗を決定づける重要な場面でシュートを成功させるコツを尋ねられました。番組の司会者は、大きなプレッシャーの中で、なぜあんなにも冷静でいられるのか、と質問しました。彼の答えは、状況を単純化する、というものでした。つまり、「シュートを一本決めれば、それでよい」。これが、複雑な状況の単純化です。「今、目の前にあるものだけに集中する。」「コーチやチームメイトの期待を気にしない。」これが彼の言う単純化です。