Tag  |  臨在

ともにおられる主

彼の存在は目立っていました。私は、ルーマニアの首都ブカレストの聖書大学院で学生に講義をしていましたが、この人に気づかずにいることはできませんでした。他の人たちはスーツだったのに、どういう理由か、彼はジーンズにTシャツ、色褪せた野球帽をかぶっていたからです。私は今でも、彼の名前をはっきりと覚えています。

主の力におおわれる

今日は50年前、アメリカ合衆国の35代大統領、ジョン・F.ケネディが暗殺された日です。衝撃のニュースが世界を駆け巡り、翌日のロンドンのタイムズ紙は、世界の金融市場が非常に大きな影響を受けていることを伝えています。一面のヘッドラインは、「すべての出来事は、アメリカの悲劇の陰におおわれてしまった」でした。

ほとんど満足

昼食を済ませてレストランの駐車場に足を踏み入れたとき、軽トラックが猛スピードで走り抜けていきました。運転手の無謀な行為にあきれながらも、ふと、トラックにあることばが掲げてあるのに気がつきました。そこには、「ほとんど満足」と書かれていました。その言葉に込められている感情について、少し考えました。そして、「ほとんど満足」という概念は存在しないという結論に至りました。人は満足するか、満足しないか、結局、そのどちらかしかないはずです。

代理人は不要

サンディエゴにいる息子のスティーブのところに滞在していたとき、デビッド・ジェレミア博士の礼拝メッセージを聞きにシャドウ・マウンテン教会に行くことにしました。息子とふたり、日曜日の朝早起きして、車で1時間かけて教会に行ったのですが、ジェレミア博士は不在だと聞いてがっかりしました。代理の「だれかさん」が礼拝説教を取り次いでいました。

それから2週間後、私は、自分たち夫婦が通っているグランド・ラピッズの教会で礼拝メッセージをしました。その朝、会衆の前に立ったとき、私は自分があの「だれかさん」だと気づきました。この教会の牧師のメッセージを聞こうとしてやって来たのに、登壇したのが私だったので、がっかりした人がいるかもしれないと思いました。

頼りにしているいつもの人が、いつもどおりいてくれると安心ですが、ときには代理人が立てられることもあります。私たちは、そのことを分かっていなければなりません。しかし、私たちが最も必要としているお方、私たちにいのちそのものを与えてくださる主は、いつも私たちのそばにおられます(詩139:7-8)。祈って神のご臨在にふれたいと思うなら、神はあなたのかたわらにおられます。「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」と聖書は語ります(55:17)。

神を探しているのですか。神はいつもおられます。神に代理人は不要なのです。

立ち往生

テネシー州のメンフィスからミズーリ州のセントルイスまではバスで6時間です。ただし、これは運転手が乗客をサービスエリアに置き去りにしない場合の話です。ある日、バスに乗っていた45人の乗客は、最初の運転手に置き去りにされると、代わりの運転手が到着するまで夜通しで8時間、待つはめになりました。彼らは予定が狂ったことに苛立ち、このままで果たして大丈夫だろうかと不安を感じたでしょう。今か今かと、救援の到着を待ちわびていたに違いありません。

身に覚えのない罪で獄中にいたヨセフの気持ちは、この人たちの比ではなかったでしょう(創39章)。助けてもらえるはずの人に忘れられてしまって、途方に暮れたに違いありません。しかし、「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し…監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた」のです(創39:21-22)。それは、ヨセフが何をしても、主がそれを成功させてくださったからでした(23節)。しかし、神のご臨在と御恵みにもかかわらず、ヨセフは長年獄中にいました。

あなたは今、病院や刑務所、故郷から遠く離れた土地にいて途方に暮れているでしょうか。あるいは、自分の殻に閉じこもって、どうにもならなくなっているかもしれません。けれども、あなたがどこにいようと、また、どれだけ長くそこにいたとしても、神のあわれみはあなたに届きます。なぜなら、神は、全能であられ(出6:3)、天にも地にも満ちておられ(エレ23:23-24)るからです。誰も助けてくれない、と思われる時も、あなたを守り、前進させ、必要を満たしてくださいます。