招かれざる客
息子夫婦が慌てて電話をしてきました。前の晩、家の中で2匹のコウモリを見つけたといいます。生態系にはコウモリも重要ですが、だからといって家の中を飛び回ってもらって嬉しいわけはありません。それで、私たち夫婦は息子たちの家に行って、その招かれざる客の侵入口とみられる穴をふさぎました。息子たちの手伝いができて感謝でした。
苦しみの中の希望
聖書を開いてエレミヤ書の1章から4章を読もうとすると、そこに「涙の中にある希望」と副題がつけられていてドキッとしました。まさに時宜を得ていて、涙がこぼれそうになりました。私は母を亡くしたばかりで、悲しみのただ中にいたのです
神は気にかけてくださるか
レイシー夫妻は大きな問題を突き付けられ悩んでいました。「イエスだけで十分なのだろうか。イエスとの絆だけでやっていけるのだろうか。神は私たちのことを思ってくださっているのだろうか。前向きに生きていこうとするに十分なお方なのだろうか。」
不安について学ぶ
水の入った大きなコップを渡されて、「胸の高さで持ってみて」と友人に言われました。ところが、時間が経つほどに腕がだるくなって、コップはどんどん重くなり、ついに手をおろしてしまいました。友人は言いました。「心配は、これに似ていると分かったの。いつまでも心配していると、心がどんどん重たくなっていくわ。」
出口
最近ロンドンに行きましたが、滞在中、地下鉄を使って行動することにしました。料金を払って地下に下りていき、電車に乗りました。しかし、慣れない人にとっては、降車駅に着いてからが大変です。出口を見つけられないと地下道で迷ってしまい、ちょっとした恐怖を体験します。
試練前、試練後
大きな試練に見舞われたあと、信仰者の人生の何が変わるのでしょう。侵入者から家族を守ろうとしたジャマイカ人男性が、誤って18歳の自分の娘を撃って殺してしまったという事件を知って考えました。
天国の視点で
ファニー・クロスビーは、幼少期に視力を失ったにもかかわらず、人々に愛唱される賛美歌を数多く作詞した人です。長い人生で何と9,000曲以上の賛美歌を作りました。「罪とがをゆるされ」や「主なる神にさかえあれ」は、そんな彼女の代表作です。
上等だ
第一次世界大戦中のマルヌ川の最初の戦いで、フランス軍のフェルデナン・フォッシュ中将は次のような声明を発しました。「我が中央部隊は崩壊し右辺部隊は退却している。上等だ。私は攻撃をつづけている。」ここに彼の、難しい状況にあっても希望を捨てない、積極的な態度が見られます。部隊はそれによって最後には勝利しました。
苦難の岬
キャプテン・クックの名で知られる、英国の冒険家ジェームズ・クックの船は1770年6月10日、オーストラリア北東海岸の沖で座礁しました。彼は船を何とか深みに引き戻しましたが、再び岩礁に乗り上げ、今度は沈没しそうになりました。クックはこの経験について「北の地点を『苦難の岬』と名づける。すべての試練が、ここから始まったからだ」と航海日誌に記しています。
みなさんも、ひとつの問題がきっかけとなって、次から次へと試練に見舞われるという経験をしたことがあるかもしれません。その中には失業、病気、家族の死、不本意な離婚などが含まれていたかもしれません。
しかし、「苦難の岬」のような危機に直面しても、神が主権者であることに変わりなく、神がすべて掌握しておられることに違いはありません。神は試練を用いて私たちの中に抵抗力を養おうとされます。使徒ヤコブは、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」と書いています(ヤコ1:2-3)。「忍耐」と訳されている単語は、「留まる力」あるいは「耐える力」という意味です。
人生を一変させるような試練のただ中でも、神が働いておられることを思い出してください。神は、あなたの品性を培うために「苦難の岬」の経験を用いられます。また、そこを無事に通り過ぎるために十分な恵みを賜ることも、約束しておられます(Ⅱコリ12:9)。