バケットリスト
最近、私の友人は「妹をヨーロッパ旅行に連れて行って、『バケットリスト』(死ぬまでにやっておきたいこと)のひとつをやり遂げたよ」と言いました。友人は何度もヨーロッパに行ったことがありますが、妹さんは一度もありませんでした。私は、彼の死ぬまでにやっておきたいことのひとつがこれだと知って、少し驚きました。受益者が彼自身ではなかったからです。自分の夢や目標の中で、「人にしてあげたい」という内容のものはどれぐらいあるでしょう。少し考えさせられました。
肩書き
英国放送協会(BBC)が、お偉方に聞こえる変わった仕事の肩書きを募集したところ、ある視聴者が応募してきました。彼女の肩書きは「水中陶器技術者」といいます。実は、レストランの食器洗い係でした。肩書きは時として、その役職を実際より重要に見せるためにつけられます。
調和
私は5弦バンジョーを弾くのが好きですが、この楽器にはひとつ欠点があります。5番目の弦は、限られた単純なコードとしか音が合いません。他の楽器と合奏してより複雑な音楽を弾くとなると、バンジョー奏者は他の楽器に合わせて弾かなくてはなりません。うまく合わせることができたなら、ジャムセッションにバンジョーの彩が添えられるのです。
パズルのピース
自分の誕生日パーティで、主役のクリスティは通常と逆のことをしました。来てくれた人全員にプレゼントを渡しました。自分にとって一人ひとりがどんなに大切な存在かを綴った手書きのカードです。各人を励ます神のみことばも添えられていました。封筒にはカードといっしょにパズルのピースが入っていましたが、そこには、私たち各々が世界にひとりだけの特別な人で、神のご計画にとって大切なひとりであるというメッセージが込められていました。
コリーヌ
去年の冬、「デイリーブレッド」のイベントがオーランドで開かれたとき、私は配布ブースにいました。すると、コリーヌという女性がやって来て、喉が渇いていませんか、お腹は大丈夫ですか、と尋ねました。私たちは「大丈夫ですよ」と答えましたが、彼女は「でも、何かおなかに入れなくちゃ」と言います。そして数分後、おやつと冷たい飲み物を持って戻って来ました。
良い人
ジェラルド・スティーブンスの告別式で、「ジェリーは良い人でした…妻に誠実を尽くし、良き父、良き祖父でした。軍人として国に仕え、良き友でもありました」と、牧師は語りました。ところがそれに続けて、「ジェリーの善良な生き方や良い行いは、彼が天国に行くことを保証するものではありません」と言ったのです。もしジェリーがこの場にいたなら、誰よりもはっきりとそのことを語るだろう、とも言いました。
ジェリーは、聖書の「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず…」(ロマ3:23)や「罪から来る報酬は死です」(6:23)というみことばを信じていました。人生の終着点である永遠の居場所を決めるのは、自分が良い人であったか否かではなく、イエスが贖罪のために身代わりに死んでくださったという事実です。ジェリーは、各個人がこの神の無償の贈り物、つまり「私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」(ロマ6:23)をいただかなくてはならない、と信じていました。
ジェリーは良い人でしたが、完璧ではありませんでした。私たちも同じです。私たちが救われるのは、ただ神の恵みによるのであって、人間の努力とは無関係です。それは「神からの賜物」(エペ2:8)です。
ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します(Ⅱコリ9:15)
奉仕の賜物
ふと気づいたのですが、オートマチック車を運転するとき、ペダルを踏むのはいつも右足です。右足だけでアクセルとブレーキを操作し、その間、左足は何もせずじっとしています。これでは不公平なので、左と右の足を半分ずつ使い分けて運転しようと思ったならどうでしょう。こんなことは絶対にやってはいけません。
身体の部分には、そんな不公平があってよいのに、教会の中では皆が公平でなければならないと考えるのはどうでしょう。これが、ローマの初代教会が直面していた問題です。一部の人たちは、自分がある特定の奉仕(他の人はしていない)をしているということで、身の程知らずに思い上がっていました(ロマ12:3)。しかし、パウロは「すべての器官が同じ働きはしない」と書いています(4節)。私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っています(6節)。神は他の人に仕えるために、その賜物をくださいました(6-13節)。私たちは人にではなく主に仕えているのですから、勤勉で霊に燃えつつ仕えるべきです(11節)。
ですから、あの人は〇〇をしているのに、私はそれができないとか、逆に、私ばかりが〇〇をして、あの人はしないなどと気にするのはやめましょう。そして、神があなたをどのように用いることができるかを考えましょう。今、神の国で、どのように用いていただけるかを考えるべきです。神は、御心のままに、あなたに賜物を与えられたのですから(3節)。
神の贈り物
良い睡眠は健康に必要です。なぜそうなのかは、まだ科学的に解明されていませんが、睡眠不足が引き起こすさまざまな弊害は分かっています。睡眠不足は老化を早め、肥満の原因になります。また風邪やインフルエンザ、さらには癌に至るまで、多くの病気の遠因となります。神が私たちの睡眠時間中にしてくださることは、まさに奇跡です。私たちは何もしていないのに、神は私たちのエネルギーを補給し、細胞を修復したり再生したりし、脳内の情報を整理させてくださいます。
睡眠不足の原因は色々で、中には自分では解決できないものもあります。聖書は働きすぎで睡眠不足になってはいけないと語っていいます(詩127:2)。睡眠は感謝して受けるべき神の贈り物ですから、もし十分に眠っていないなら、その原因を突き止めなければなりません。余分なものを買うために、朝早くから夜遅くまで起きて働いていませんか。人には任せられないと思って、あれこれの奉仕に手を出していませんか。
自分が起きて神のためにする仕事は、自分が寝ている間に神がなさる仕事以上に大切であるかのように行動する誘惑が、私たちにはあります。しかし、睡眠という神からの賜物を受け取らないことは、「私の仕事のほうが、あなたの仕事より重要です」と神に申し上げているようなものです。
神は、仕事や奉仕の奴隷になってよい人がいるとは思っておられません。神の贈り物として、私たちが睡眠をゆっくり楽しむことを願っておられます。