1年で聖書を!
◆ エレミヤ書9-11
◆ Ⅰテモテ6
聖書のみことば ヨハネ15:1-8

 
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
― ヨハネ15:5


子どもがひとりで服を着たり、歯を磨いたり、靴をはいたりすると、大人はそれを褒めてあげます。自転車に乗れたり、ひとりで塾に行ったりするようになると、誇らしく思います。

成長して大人になると、自活して自分の家に住み、自分で決断し、人に頼らないようにします。そして、予期せぬ困難に直面すると、解決のヒントが書かれた本を探したりして、神にとって最も望ましい心のあり方、宇宙における私たちの有り様を最もよく物語る心のあり方を封印しています。そのあり方とは、イエスが弟子たちに言われたこと、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないから」(ヨハ15:5)です。
 

私たちは本当のところ、依存という網の目の中に住んでいます。その中心には、すべてを結び合わせる神がおられます。神に受け入れられる祈りの姿勢について言うならば、ノルウェイの神学者オー・ハレスビーは、「無力」という一語に尽きると語っています。彼は「無力な者のみが真の祈りをささげることができる」と言いました。

子どもが独立していくと、親は寂しさを感じつつも、それが健全であり、ノーマルな成長過程であると分かっています。しかし、神の場合はそれが当てはまりません。私たちは決して、神から独立することがないからです。神から独立しているように思うなら思うほどに、私たちは自分を欺いています。

祈りましょう。祈るとは、自分が主イエスに依存していると宣言していることなのです。 (Philip Yancey)

自分の人生が祈りによって決まるかのように祈りなさい。
そのとおりなのだから!