毎日がイースター
幼稚園で教えている友だちが、子どもたちのかわいいおしゃべりを耳にしました。マリアがみんなにこう質問しました。「かみさまが大好きな人はだぁ~れ?」「は~い!」「ぼくも!」「わたしも!」するとビリーが言いました。「ぼくはイエスさまが好きだな。」「だけどイエスは死んじゃったよ」とケリーが反論します。しかし、ビリーは答えました。「そうさ。でも、イースターのたびに生き返るんだ。」
スポットライト
ベルンハルト・ランガーは1993年のイースターの日曜日に、マスターズゴルフで優勝しました。そのときのインタビューを決して忘れません。ランガーが勝利者に与えられるゴルファーの憧れ、グリーンジャケットを受け取るために18番のグリーンに出てくると、記者が「あなたの人生で最高の日ですね」と話しかけました。ランガーは即座にこう答えました。「世界最大のトーナメントで優勝できて嬉しいです。しかしイースターの日曜日に優勝できたことに、もっと大きな意味があります。今日は私の救い主であるお方の、復活を祝う日ですから。」
わたしは生きている
政府のデータベース上で、誤って死亡と記載された人は2011年には1万4千人いました。ローラ・ブルックスは、自分がそのうちのひとりであることを知りませんでした。彼女は52才でふたりの子どもがいました。身障者手当の受給が止まったり、ローンの返済や家賃の支払いの小切手が不渡りになって戻ってきたりしたので、いったい何が問題なのだろうと思いました。ローラは事の次第を問い合わせようと銀行へ行きました。すると、銀行の担当者は、彼女が死亡したので口座は閉じられたと言うではありませんか。明らかに間違いです。
あらゆる助け
コネチカット州ニュータウンの小学校で銃乱射事件が起きたとき、大勢の人々は、何かをしなければという気持ちになりました。それで、けが人のために献血をした人がいたり、救援に従事する人たちに無料でランチやコーヒーを提供したレストランもありました。慰めの手紙を書いたり、ただ抱きしめる人たちもいました。子どもたちのために募金をしたり、ぬいぐるみを送ったり、カウンセリングを申し出る人たちもいました。それぞれが自分の性格や能力にふさわしく、自分の持っているもので、自分にできることをしました。
家族になる
モーリス・グリフィンは32歳で養子になりました。彼は、幼いころから20年前までゴッドボールド夫妻の里子としていっしょに暮らしていました。今では独立して自分で生活していますが、養子縁組をすることは、モーリスもゴッドボールド夫妻もずっと望んでいたことでした。両者が再会を果たし、養子縁組が正式に成立すると、モーリスは「私の人生でおそらく最高の瞬間です。…わが家に帰れて幸せです」と述べました。
蜜よりも甘い
ディズニー映画の「メリー・ポピンズ」を知っていますか。主人公は魔法の使える「乳母」で、現実ではありえない陽気な話です。こんな映画を楽しんだ古き良き時代を懐かしがっているように聞こえるかもしれませんが、実は違います。私が求めているのは、現実的かつ楽観的な将来のビジョンをもつ人です。メリー・ポピンズが、ひと匙の砂糖があるだけで苦いお薬も簡単に飲めると教えるように、嫌なことの中にも肯定的な一面があることを示してくれる、陽気で創造性豊かな人が大好きなのです。
見誤る
末弟スコットは、私が高校3年生のときに生まれました。彼が大学に入ったとき、この年齢差のために面白いことになりました。登校初日、私と母は、スコットにつきそって大学に行きました。するとみんなは、スコット・クラウダーと彼の父、そして祖母がやって来たと思いました。私たちは間違いを正そうとしましたが、結局、あきらめてしまいました。何を言っても無駄だったのです。私たちの本当の関係は、彼らの勘違いに取って代わられてしまいました。
固い決意
戦火によって母国を追われた難民のニュースをテレビで見ていて、10歳の少女の言葉に胸を打たれました。帰国できる可能性はほとんどないのに、「家に帰ったら近所のみんなを訪問したり、友だちと遊んだりするわ」と、きっぱり語りました。「父さんは家が無いと言ったけど、私たちで何とかするわと答えたの」とも言いました。
新たな旅立ち
再出発は可能です。小学生ですでに不良の仲間入りをしていた、ブライアンの話を聞いてください。彼は12歳のときに家出して、3年間も行方知れず。その間、不良仲間とドラッグ三昧の暮らしをしていました。仲間と別れて家に帰って来てからも大変でした。ドラッグを売って、学校を追い出されていたからです。しかし、新しい学校に入ることができました。また、先生が、過去を繰り返すのではなく、それを文章にしてみてはどうかと強く勧めてくれました。彼はこの言葉に背中を押され、新たなスタートを切りました。