あるがまま我を
ある演奏会で「あるがまま我を」が紹介されたとき、私は懐かしい思い出に包まれました。昔、教会で牧師はメッセージの後に、「キリストがくださる罪の赦しを受け取りたい人は前に来てください」と言い、会衆はこの賛美歌を歌いました。「あるがまま我を 血をもて贖い イエス招き給う み許にわれゆく。」
家紋
アイルランドの西側に位置するアラン諸島は、美しいセーターで有名です。羊毛糸で様々な模様を編み込んだセーターです。この模様の多くは、島の文化や伝承に関係したものですが、中には家紋のように個人に関わるものもあります。この島の各家庭には、それぞれに固有の家紋があります。漁師が海で遭難したとしても、着ていたセーターの家紋の模様から、身元確認ができると言われています。
信頼して近づく
モン・サン=ミシェルは、フランスのノルマンディー沿岸から0.8キロほど離れた場所に位置する小島です。何世紀も前に大修道院が建てられ、修道士たちが隠遁(いんとん)生活を送ってきました。そこはまた、多くの巡礼者たちのあこがれの地でもありました。しかし、土手道が建設される前は非常に危険な道とされ、落命した巡礼者もありました。干潮時には島のまわりに砂洲が現れますが、満潮時には海水に取り囲まれます。島へ行くことは恐怖を伴いました。
勇気と根気
ピューリッツァー賞を受賞したユージーン・パターソンの死亡記事を読んで、ふたつのことが印象に残りました。彼は1960年から1968年まで、アトランタ・コンスティチューション紙の編集者でした。当時はまだ、人種差別の撤廃に反対する人が多い時代でした。パターソンはその中で、臆することなく公民運動の支持を訴えつづけました。また彼は8年間、一日も休むことなく新聞のコラムを執筆しつづけました。数にして2922本、来る日も来る日も書きつづけました。彼が社会に与えた影響の鍵は、勇気と根気でした。
神の視点
ジェイソンは春休みを利用して、友だちとニューヨークに旅行しました。ある日の午後、エンパイア・ステート・ビルを見学しようとタクシーを拾い、ごった返した道を走り抜けるタクシーにひやひやしました。ところが、高層ビルの展望台に到着し、そこから下界を眺めて驚きました。街は整然と整備されていたのです。どこから見るかによって、同じ場所の風景はまったく違って見えました。
自分の手で
列車は私たちを乗せて、ミシガン州西部の湖岸沿いに広がる豊かな大地を走っていました。初夏になり、畑では作物が実りはじめています。人々は膝をかがめ、朝露に濡れながら赤く熟したイチゴを摘んでいました。ブルーベリーの木は、降り注ぐ太陽の光をいっぱいに浴び、大地から養分を存分に吸い上げていました。
ザアカイを 探す
アルフ・クラークは、「ザアカイ」を探して通りを歩きます。聖書に出てくる、あのザアカイではありません。あのザアカイは、イエスが既に見つけられましたから。アルフは友人たちと、都会の貧困地区で宣教しています。彼らは、イエスがルカの福音書19章でなさったことをしています。すなわち、困っている人を探して町を歩き、彼らに手を差し伸べるのです。
神は星に名をつける
チリのアタカマ砂漠の高地に、世界最大の電波望遠鏡があります。天文学者たちはこれによって、今までに知られていない宇宙の様子を見ることができます。ルイス・アンドレはAP通信で、「宇宙誕生の手がかり、すなわち、極寒のガスと塵によって銀河が形成され、ビッグバンによって生じたエネルギーによって星が生まれたときのこと」を探ろうとする各国の科学者たちについて書きました。
白旗を振る
最近、南米のある教会の礼拝の様子を映像で見ました。牧師は教会員たちに、自分の人生のすべてをイエスに明け渡しなさいと熱く語っていました。そのとき、教会ではまったく見たことのないことが起こりました。ひとりの教会員がポケットから白いハンカチを取り出し、手を上げてそれを振り始めました。すると別の人たちも次々とハンカチを振って、涙を流しながらキリストに「白旗を揚げる」(完全に降伏する)ことを表明しました。