太鼓叩きの少年
欧米で人気のクリスマスソングの中に、1941年に書かれた「リトルドラマーボーイ」があります。原題は「ドラムのキャロル」で、チェコの古いキャロルがベースです。マタイの福音書1~2章や、ルカの福音書2章のイエス降誕の話に太鼓叩きの少年は出てきませんが、この歌の歌詞は、礼拝というものの核心を突いています。太鼓叩きの少年は、3人の博士に召し出されてキリスト誕生の場所に来ました。しかし、博士たちと違って、彼は贈り物を持っていません。それで、自分にあるものを贈りました。少年は、「神のために精一杯鳴らそう」と言いながら、ドラムを叩いたのです。
驚くべき愛
友人のダヴィディーンは、夫を亡くして初めてのクリスマスが近づいたとき、私たちに手紙をくれました。その中に、イエスがお生まれになった日の天国を想像した一文がありました。「いつかその日が来ると、神は覚悟されていたでしょう。三位一体のお方なのに、私たちのためにバラバラになることを承諾されたのです。天の御子は天からいなくなり、天国はひっそりしました。」
パクス・ロマーナ
戦争の痛みを償える人はいません。それなのに、あるウェブサイトによると、現在、64カ国で何らかの武力衝突が起こっているといいます。それは、いつ、どのように終わるのでしょう。私たちは平和を望みます。しかし、正義を犠牲にした平和では困ります。
最終節
アメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローは1861年の夏、妻フランシスを大やけどで亡くしました。その年のクリスマス、彼は日記に「この時期は言葉にできないほど悲しい」と記し、翌年には「メリークリスマスと子どもたちは言うけれど、そういう気にはなれない」と記しました。南北戦争が長引いていた1863年、息子は彼の意に反して戦地に赴き、重傷を負いました。その年のクリスマス、教会の鐘が鳴り、辛い日の訪れを告げました。ロングフェローはペンを取り、「クリスマスの日、私は鐘の音を聞いた」と詩を書き始めました。
闇の中で手を伸ばす
わが家の愛犬はこの13年間、毎晩、私たちのベッドの下で丸くなって寝ています。
クリスマスの安息
少年のころ、家計を助けるために新聞配達をしていました。朝6時までに朝刊を140軒に届けなければならず、毎朝3時に起床しました。週7日、休みは一日もありませんでした。しかし、一日だけ、特別な日がありました。クリスマスです。クリスマスの朝刊はクリスマス・イブに配達するので、その朝だけは、みんなと同じようにゆっくり休むことができました。
主の尊い御名
英語圏では、神を意味する「ゴッド」という言葉が、感嘆符のようにみだりに使われることがあります。ですから、十戒の第三番目、「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない」(出20:7)は、そういう行為を戒めているだけだと思われがちです。しかし先日、尊敬するクリスチャンの友人と話をして、もっと深く考えるべきだと教えられました。
働く態度
学生のころ、友人といっしょに家具店でアルバイトをしていました。私たちは家具の配達に行き、同伴のインテリアコーディネーターがお客さんと話をしている間に商品を運び込みました。時には、家具をかついでアパートの階段を上がらなければなりません。私たちはよく、自分たちの仕事がインテリアコーディネーターだったら良いのにと思ったものでした。
神を祝おう
ガーナのアサモア・ギャンは、2014年ワールド・カップの対ドイツ戦でゴールし、チームメイトとダンスをしました。その数分後、ドイツのミロスラフ・クローゼは、ゴールを決めて前方宙返りをしました。「ゴールパフォーマンスには大きなアピール力があります。なぜなら、それは選手の情熱や性格、価値観を示しているからです」と語るのは、2002年のワールド・カップでゴールを決めた、アメリカ代表のクリント・マディスです。