Month: 3月 2018

競争とは何か

1957年10月4日、ある出来事が、世界の二大グループに属する人々を真っ向から対立させ、激しい競争に落とし込んだ。この二大グループとは、二大国のことだ。国家の統治や哲学的な違いから、すでに対立関係にあったが、この事件の発生によって、両国は新たな全面競争の時代を迎えた。

今から50年以上も前のその日、当時のソビエト社会主義共和国連邦とアメリカ合衆国の、野心的な競争が始まった。ソビエトが史上初の人工衛星、スプートニクの大気圏外への打ち上げに成功したことにアメリカ政府が反応した。そして、両国間の競争、つまり、「宇宙開発競争」の幕開けとなった。

ソ連が打ち上げた83.6kgの人工衛星がアメリカ上空を通過した時、アメリカ国民は、ビーっという不思議な飛行音を短波ラジオで聞いた。そして、ソビエトに対する強烈な競争心をかき立てられた。アメリカ国民は、ソ連が技術的に勝っており、 上空からスパイ活動を行っているのかもしれないと恐れた。ソ連の発射する武器が、とうとうアメリカ大陸にまで届くようになったらしい、と考えたようだ。

ソビエトに脅威を感じるアメリカが、技術で遅れを取っていると気付いた時点で、 ソビエトに追いつけ追い越せの宇宙開発競争が始まった。スプートニクの事件は、競争のいろいろな面を浮き彫りにしている。第一に、競争が成り立つためには、通常、敵対する二者が必要だという点が挙げられる。

スプートニク事件以前のアメリカでは、(NASAが設置される以前の話だが)宇宙開発計画に関わる政府の官僚たちの中にソビエトの人工衛星構築を真面目に受け止める者はいなかった。当時のアメリカで競争を語るとき、ソビエトは過小評価されていた。アメリカは、よもや先を越されることはないだろうとのんびり構えていたのだ。しかし、ソ連が宇宙計画の成功を発表するやいなや、言い換えれば、米国民が共産主義国の脅威を感じるやいなや、アメリカは素早く行動に出た。スプートニクの打ち上げで、以前にはなかった競争状態が発生した。

ほとんどの競争では、最終的に手にするものを争って二者が闘う。目指すものは、スポーツならば優勝トロフィー、ビジネスならば顧客の獲得や金もうけ、政治ならば政権、宇宙開発競争ならば国際戦略上での優位な立場だ。

しかし、競争には、必ずしも対立する相手が存在するというわけではない。時には、敵の見えない孤独な競争もある。例えば、あなたが営業マンなら、これまでの自分の販売成績と競っている。もし、走るのが趣味だったら、自己ベストを上げるために、ストップウォッチと競争するだろう。つまり、あなたは、対戦相手無しで競争している。それは、宇宙を舞台にしたけんか騒ぎに、アメリカが飛びこむ以前のソビエトの姿に似ている。

二つ目の特徴は、競争状態は、焦点を明らかにする、つまり「目標」を生みだすことだ。そして、目標達成のためには、こんなにも必要だろうかと思われるほど努力する。スプートニク事件以前のアメリカには、宇宙ロケットの開発に従事する人たちはいたものの、効果的な運用に対しては、軍部関係者の間にさまざまな意見の対立があった。しかし、ソビエトの打ち上げに驚いたアメリカは、巻き返しを狙うため、中央機関を設けて活動し、目的達成に注力し始めた。その目標とは、もちろん宇宙開発技術でソビエトをしのぐことだ。そうして、米航空宇宙局(NASA)は、アメリカ全土の知力を中央に集中させた。その後、ジョン・F・ケネディ大統領によって、あらゆる小規模の目標が一つの偉大なる目標に結集されたのだ。1961年5月25日、ケネディ大統領は、「我が国は、今後10年以内に人類を月面に着陸させ、安全に地球へ帰還させるという目標達成のために全力を傾けて取り組むべきだと考える」と大胆に宣言した。

さて、第三に、競争には「改善への動機」を生みだすという特質がある。この時点でアメリカは、現状に甘んじてはいられなくなっていた。NASAの設立だけでなく、一般庶民のレベルに関してもそうだ。アメリカ全土の学校に対し、数学や科学の教育を強化するように指導が出された。なぜなら、ソ連のスプートニク打ち上げ成功は、 教育レベルにおいてもアメリカがソビエトに遅れを取っている証拠ではないか、と危惧したからだ。

この競争の結果は、誰にも予想できないものだった。実際、国と国とが競争関係に陥ったらどんな結末を迎えることになるか、思い描くことも不可能だった。一般には、人を乗せたアメリカ製宇宙船の月面着陸が、米ソ宇宙開発競争におけるアメリカの成功を示すものだと考えられている。けれども、実際の成果は、それ以上のものだった。

最終的に、この競争は逆の結果、つまり協力関係を誕生させた。1975年にアメリカとロシアの宇宙飛行士らが、大気圏外空間で握手するに至ったのだ。宇宙開発競争は、歳月を経てさまざまな開発や発見をもたらし、月面に立つこと自体の価値よりもっと大きな影響を人類に与えることとなった。

偉大なる競争は、ふとしたきっかけから、次のようなものにつながった。インターネットの前身ともいえるARPANET(アーパネット)、超音波エコー、GPSシステム、そしてインスタントコーヒーなどがある。このように競争は多くの場合、思いがけない結果を生みだす。

だから競争とは、目標のため、または限りある資源を手にするための闘いであり、多大な努力と自己改善が要求される。

競争自体は、良いものでも悪いものでもない。目標を達成しようとする動機や方法次第で、大きな益をもたらすこともあれば、大きな害につながることもある。

競争には結果がある。思い通りの結果もあれば、予想外の結果もある。だから、慎重に参加すべきだ。

どこもかしこも競争だらけ

「どうもMacです」「こんにちはパソコンです」というせりふで始まる、ユーモラスなCMを見たことがあるだろう。とても人気のCMシリーズだ。このシリーズが素晴らしいのは、MicrosoftとAppleという世界的な二大パソコン企業の熾烈(しれつ)な闘いをユーモラスに描写していることだ。

楽しく笑える広告の裏にも、非常に真剣な競争の世界がある。 実際、限られた資源をめぐる争いは、21世紀の私たちが直面する現実だ。

国際的にみると、石油や食物など主要商品を手に入れるために、各国が競い合うようになってきたのは明らかだ。以前は、ものの考え方や国境、生活様式などの違いが、いつも国同士の争いのもとになり、戦場での闘いにつながった。しかし、地球の資源が減っていく中、国家間の競争には新たな側面が表れてきた。

国内では、政治的な競争がある。ライバル同士が政権を取ろうとやっきになって戦う。国民の信頼を得て票を勝ち取るために、独自の政策の利点をあれこれと述べ立てる。選挙というものは、実に個人的感情に左右される厳しい競争の一例だろう。

各家庭の状況、つまり私たちの実生活に置き換えて考えてみよう。毎日のいろいろな場面で、競争が起こっている。例えば、就職活動、成績アップ、入試など、どれをとってもそこには競争がある。また、普段買い物をする店は、一円でも多くもうけるために競争している。それから、私たちは、注目を浴びたり、 好意や愛情を受けたりするために競争する。

私たちは、遊びの場でさえ競争している、草野球では、優勝トロフィーをめぐって競争する。

スポーツチームのファンたちもそうだ。よく考えてみれば、自分と自分のお気に入りのチームをつなぐ関係は単に住んでいる場所だけなのに、相手チームとの応援合戦がすさまじい闘いに様変わりしてしまうことがある。その一例が2008年、ニューヨーク・ヤンキースのファンが、ボストン・レッドソックスのファンとけんかになり、相手を車でひき殺してしまった事件だ。

日常生活において、 競争を無視することはできない。

そんな中で、私たちには、競争の準備ができているだろうか。日々激しくなっていく競争社会と向き合う準備ができているだろうか。競争の価値や利点、欠点、社会道徳的な問題点についてじっくりと考えるひとときを持ったことがあるだろうか。どうしたら、神にも人にも恥じることなく自信を持って、この競争社会を生き抜くことができるか、今こそ、考えてみるべきではないだろうか。

見て静まれ

メキシコの作曲家ルベン・ソテロは「その人を見よ」という曲を作りました。その曲はイエスを見て静まれと促します。なぜならイエスが十字架にかかるという行動で示した愛を前に、人は返す言葉を失うからです。私たちは信仰によって福音書に描かれた場面を想像し、十字架、血潮、釘、その痛みや苦しみを心に思い描くことができます。

いなくなった羊、なくした銀貨、いなくなった息子―ルカ15章

ハドン・ロビンソン博士はたぐいまれな洞察力で「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれた神の器です。「いなくなった羊、なくした銀貨、いなくなった息子」のたとえ話は、罪人と呼ばれる人たちと日常的に付き合うご自分を批判する人たちに向けて、イエスが神を教えるために語られた話です。このメッセージを聞くと、まっとうな生活をしていても、教会にいっていても「いなくなっている」ことがあると気づきます。しかし、失われていたものを見つけて喜んでくださる慈しみ深い神の姿も同時に示され、慰められます。

成長させる方に栄光を

ある日、庭の駐車スペースの脇に黄色い水仙が咲いていました。大きなふたつの石の間から6本の水仙が伸びています。それを植えた覚えも、肥料や水をやったこともなかったので、どういう訳でここに咲いているのか不思議でした。

悪い心を持った良い人―ルカ15章

ハドン・ロビンソン博士はたぐいまれな洞察力で「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれた神の器です。何らかの理由で道を踏み外してしまった人がいます。一方で、まっとうな生活をしていても、心が冷えている人もいます。天の父は、その両方の人たちを愛し、あわれみ、手を差し伸べてくださいます。神が差し伸べてくださった手をしっかり握るために、あなたにふさわしい方法で神に応答していくことを祈り求めながら、どうぞこのメッセージをお聞きください。

生きる意味

家計の見直し方の本を何冊か見て面白い傾向を発見しました。どれにも役立つ助言がありましたが、節約の目的は豊かな未来のためと暗示しています。ところが、1冊だけは違いました。シンプルな生活こそが豊かな生活で、もっと多くを…という姿勢は、生きる意味を見失っていると語ります。

愚かな金持ち―ルカ12章

ハドン・ロビンソン博士はたぐいまれな洞察力で「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれた神の器です。私たちの中で、お金に関心の無い人がいるでしょうか。また、自分の人生の目的について関心の無い人がいるでしょうか。このふたつは無関係ではありません。富を蓄える行為の価値を見定めるとき、自分はいずれ死ぬという事実に照らして考えなければならないと、ロビンソン博士は教えます。このメッセージを聞きながら、神の前に富むとはどういうことか、みことばの真意を考えましょう。