Month: 11月 2019

よそ者を愛す

家族のひとりが他の宗教に改宗した後、イエスに立ち返るように諭しなさいと言われましたが、まずは、イエスのように彼女を愛することだと思いました。しかし、いっしょに外出すると、彼女の「外国風」の服装に顔をしかめたり「国へ帰れ」と暴言を吐いたりする人さえいます。ここが彼女の国なのに。

まつわりつく

数十年前、蒸し暑い熱帯林の中で戦っていた米軍兵士たちは問題に遭遇しました。トゲだらけのつる草が一面に生えていて、突然、身体や装備にくっつき、前進を阻みます。振りほどこうともがくと、ますます多くの触毛に捕らわれます。兵士たちは、その植物を「ちょっと待て草」と呼びました。絡まると進めなくなって、「おい、ちょっと待て。動けない」と仲間に叫ばざるを得なかったからです。

パパ、どこにいるの

家の前で、娘からの電話です。「パパ、どこにいるの!」と慌てています。私は6時までに戻って演劇の練習に送っていくと言っていました。時間どおりです。なのに、娘は疑っています。私は「表だよ。パパを信用しなさい」と言いつつ、神は何度、私にそう言いたかっただろうと考えました。切羽詰まると、私も同様です。神を疑って「父よ、どこにおられるのですか」と心で叫びます。

賞をめざして

アメリカ映画「フォレスト・ガンプ」(1995年日本公開)のフォレストは、走ることで有名になりました。この道の行き止まりまで、と 思って始めたものが、結局、3年2ヶ月14日と16時間走りつづけました。自分で決めた目的地に着くと、次の目的地を定め、もう走る気がなくなるまで、アメリカをジグザグに横断したのです。何となく走りたいと感じたことがそもそもの動機でした。フォレストは語ります。「あの日、特に理由もなく、僕は、ちょっ と走ろうと思った。」

パクス・ロマーナ

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。—イザヤ書9:6

戦争の痛みを償える人はいません。それなのに、あるウェブサイトによると、現在、64カ国で何らかの武力衝突が起こっているといいます。それは、いつ、どのように終わるのでしょう。私たちは平和を望みます。しかし、正義を犠牲にした平和では困ります。

主イエスは「平和な時代」に生まれましたが、その平和は厳しい圧政によるものでした。パクス・ロマーナ、すなわちローマの平和は、ローマ帝国が全ての対抗勢力を握りつぶして維持されていました。

その7世紀前、戦争の影が色濃い地で、預言者イザヤが神のみことばを宣言しました。「死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った…ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。…その主権は増し加わり、その平和は限りなく」と(イザ9:2、6-7節)。マタイは、イエスの誕生はイザヤの預言の成就だと語ります(マタ1:22-23、イザ7:14)。

私たちは、飼葉おけの赤ちゃんをいとおしく思います。しかし、このいじらしいみどりごは、全能の主、「万軍の主」でもあられます(イザ13:13)。このお方は「ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえ」られます(9:7)。その国の統治はパクス・ロマーナのような圧政ではありません。平和の君の統治です。—Tim Gustafson

父なる神よ、十字架の死とよみがえりによって、私たちと神との間に平和をもたらすために、御子が来てくださったことはいくら感謝しても感謝しきれません。主イエスが平和と正義によって、すべてを治められることを感謝します。

神の小羊イエスは、ユダ族から出た獅子でもある。

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第1篇:分かってくださるお方 第2篇:永続する平和

もっとよく見たい

彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。—ルカ19:3

子どもの頃、木登りが大好きでした。登るほどに眺めがよかったので、時には枝がしなるところまで登ったりもしました。しかし、それは昔のことです。もう、大人なのですから。

ザアカイは裕福な大人でしたが、世間体(そして多少の危険)も顧みず、木に登りました。エリコの町を巡っておられたイエスを見ようと思ったのですが「背が低かったので、群衆のために見ることができ」ません(ルカ19:3)。しかし、そんなことでひるまなかったのは幸いでした。彼の企ては成功し、イエスとお会いできたのです。イエスとの出会いは、彼の人生を永遠に変えました。イエスは「救いがこの家に来ました」と言われました(9節)。

私たちにも、自らの自尊心によって、また不安や名誉欲や物欲によって、イエスが見えなくなる時があります。主イエスが素晴らしい助言者であり、平和の君であり(イザ9:6)、本当の満足をいただけるいのちのパン(ヨハ6:48)であることが見えなくなります。

イエスをもっとよく見るために、どんなことをしようと思いますか。イエスに近づこうとする真摯な努力は、必ず良い結果をもたらします。神は、ご自分を熱心に求める人を喜んでくださいます(ヘブ11:6)。—Jennifer Benson Schuldt

主イエスよ、あなたの全てを感謝します。私が聖書を読んだり祈ったりするとき、さらにあなたを表してください。心を尽くし、思いを尽くして、あなたを追い求めさせてください。

信仰を強くするために、神の御顔を慕い求めよう。

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