神の愛を表す数々の祝福
ある女性が2015年、亡き夫のパソコンを処分しようとリサイクル ショップに来ました。それは1976年製のパソコンでしたが、大切なのは、いつできたかではなく、誰が作ったかでした。それは、アップル社の創設者スティーブ・ジョブズが制作した200台のパソコンのひとつで、2500万円以上の価値がありました。物の価値は作者によって決まるということが世の中にはあります。
もっとよく見たい
聖書のみことば:ルカ19:1-10
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。―ルカ19:3
子どもの頃、木登りが大好きでした。登るほどに眺めがよかったので、時には枝がしなるところまで登ったりもしました。しかし、それは昔のことです。もう、大人なのですから。
ザアカイは裕福な大人でしたが、世間体(そして多少の危険)も顧みず、木に登りました。エリコの町を巡っておられたイエスを見ようと思ったのですが「背が低かったので、群衆のために見ることができ」ません(ルカ19:3)。しかし、そんなことでひるまなかったのは幸いでした。彼の企ては成功し、イエスとお会いできたのです。イエスとの出会いは、彼の人生を永遠に変えました。イエスは「救いがこの家に来ました」と言われました(9節)。
私たちにも、自らの自尊心によって、また不安や名誉欲や物欲によって、イエスが見えなくなる時があります。主イエスが素晴らしい助言者であり、平和の君であり(イザ9:6)、本当の満足をいただけるいのちのパン(ヨハ6:48)であることが見えなくなります。
イエスをもっとよく見るために、どんなことをしようと思いますか。イエスに近づこうとする真摯な努力は、必ず良い結果をもたらします。神は、ご自分を熱心に求める人を喜んでくださいます(ヘブ11:6)。
主イエスよ、あなたの全てを感謝します。私が聖書を読んだり 祈ったりするとき、さらにあなたを表してください。心を尽くし、思いを尽くして、あなたを追い求めさせてください。
信仰を強くするために、神の御顔を慕い求めよう。
パクス・ロマーナ
聖書のみことば:イザヤ書53:1-6
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。―イザヤ書9:6
戦争の痛みを償える人はいません。それなのに、あるウェブサイトによると、現在、64カ国で何らかの武力衝突が起こっているといいます。それは、いつ、どのように終わるのでしょう。私たちは平和を望みます。しかし、正義を犠牲にした平和では困ります。
主イエスは「平和な時代」に生まれましたが、その平和は厳しい圧政によるものでした。パクス・ロマーナ、すなわちローマの平和は、ローマ帝国が全ての対抗勢力を握りつぶして維持されていました。
その7世紀前、戦争の影が色濃い地で、預言者イザヤが神のみことばを宣言しました。「死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った…ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。…その主権は増し加わり、その平和は限りなく」と(イザ9:2、6-7節)。マタイは、イエスの誕生はイザヤの預言の成就だと語ります(マタ1:22-23、イザ7:14)。
私たちは、飼葉おけの赤ちゃんをいとおしく思います。しかし、このいじらしいみどりごは、全能の主、「万軍の主」でもあられます(イザ13:13)。このお方は「ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえ」られます(9:7)。その国の統治はパクス・ロマーナのような圧政ではありません。平和の君の統治です。
父なる神よ、十字架の死とよみがえりによって、私たちと神との間に平和をもたらすために、御子が来てくださったことはいくら感謝しても感謝しきれません。主イエスが平和と正義によって、すべてを治められることを感謝します。
神の小羊イエスは、ユダ族から出た獅子でもある。
羊のようだ
聖書のみことば:イザヤ書9:1-7
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。―イザヤ書53:6
ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。
ですから私は、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザ53:6)という、イザヤの言葉がよく分かります。私たちは、さまよっています。神が悲しまれることを願ったり、行ったり、他人を傷つけたします。多忙や無関心が理由で、神とともに過ごす時間や神のみことばを学ぶ時間を大切にしなくなります。まるで牧場の羊のようです。
しかし、幸いなことに、いのちを捨ててくださった「よい羊飼い」がおられます(ヨハ10:11 口語訳)。その方は、私たちの悲しみと罪を負ってくださいました(イザ53:4-6)。そして、みそば近くを歩むことができるように、安全な牧場に帰りなさいと、声をかけてくださいます。
私は時にさまよいます。私のたましいの羊飼い、いつも私を探し、あなたのもとへ連れ戻してくださるお方、心から感謝します。
神に導いていただきたいなら、喜んでついて行かなければならない。
永続する平和
聖書のみことば: エペソ2:13-19
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、—エペソ2:14
第一次世界大戦中、1914年のクリスマスイヴのことです。約50キロにわたる西部戦線で銃声がやみました。塹壕(ざんごう)の上から覗き見ると、自分の陣地を修繕したり、死者を埋葬しようと、姿を現した兵士たちがいました。夜の闇が落ちると、ドイツ軍の中には、ランプを灯してクリスマスの賛美歌を歌う連隊が表れました。すると、敵である英国の兵士たちは拍手し、大きな声でクリスマスの挨拶をしました。
翌日、独、仏、英軍の兵士たちは、どちらの軍にも属さない緩衝地帯で握手を交わし、食べ物を分け合い、プレゼントを交換しました。この短い平和はまもなく終わり、翌日、大砲と機関銃の爆音が息を吹き返しました。しかし、後に「クリスマス休戦」と呼ばれるようになったあの日、あのいっときの平和を体験した人々は、誰ひとりとしてその味を忘れることはなかったでしょう。また、どれほど恒久平和を願ったことか、その思いも忘れなかったはずです。
イザヤはメシヤの到来を預言して、「その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」と語りました(イザ9:6)。イエスは十字架の死によって、神と私たちを敵として隔てる「緩衝地帯」を取り除いてくださいました。「キリストこそ私たちの平和」です(エペ2:14)。
イエスとひとつになることで、人は永遠に神と平和を保ちます。また、他の人と調和することもできます。これが、人生を変えるクリスマスのメッセージです。
キリストの内にあってのみ、真の平和は実現される。
分かってくださるお方
聖書のみことば: ヨハネ1:1-18
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。—ヨハネ1:14
ジョン・バブラーは、テキサス州のある町の警察署と消防署でチャプレン(職場の牧師)ですが、長期の特別休暇を利用して警察官訓練所に通いました。自分が仕えている人たちをもっと理解したいと思ったからです。候補生たちとともに過ごし、警察官が直面する厳しい課題について学んだことで、バブラー牧師は更なる謙遜と共感を身につけました。今後は、精神的ストレス、疲労、喪失にさらされる警察官を、より効果的に支援したいと願っています。
神は私たちを造られ、私たちに起こることをご存じですから、すべての状況を理解しておられます。その上、人としてこの世の人生を経験されたのですから、私たちの問題をご存じです。イエス・キリストは「人となって、私たちの間に住まわれ」ました(ヨハ1:14)。
イエスの人生には、さまざまな困難がありました。焼けるような太陽の熱、空腹の辛さ、安住する家のない不安を経験されました。批判や裏切り、度重なる脅しにもさらされました。また、友情や家族の愛という喜びや、この上ない痛みや死も経験されました。
イエスは、私たちの不安を洞察と思いやりを持って忍耐強く聞いてくださる不思議な助言者です(イザ9:6)。イエスは希望をくださいます。イエスは、私も経験したから分かりますと言うことができるお方です。
親愛なる主よ、ご自分を低くして人になるほどに、私たちを心配してくださり、感謝します。あなたは私の人生の全てを理解しておられます。私の悩みをあなたにおゆだねします。
神は、私たちの困難を分かってくださる。
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