危険な寄り道
保険の外交員に再度会いたいと言われ、ハーリーは、無駄な時間だと思いました。しかし、信仰の話ができるチャンスを探ろうと思い直しました。
砂漠の希望
NEW!特集記事の公開を始めました。第一回「砂漠の希望」。何もかもが不毛に思え、干からびていくように感じる―そんな人生の砂漠で、人に残された希望とは…。
砂漠の希望
砂漠の希望
ルース・チョウ・シモンズ
ニューメキシコ州で過ごした子ども時代、父に連れられてよく家族で砂漠へドライブに出かけました。私は、町の景色が少しずつ寂しくなると、目を閉じて眠ることにしていました。そこは果てしなく続く荒野です。灼熱の大地をどれだけ走っても、乾いた不毛の地以外何も見えません。砂漠はできれば避けたい場所、そこにいることを実感したくない場所です。
しかし、人生の苦楽においては、「楽」だけを歓迎し、砂漠のような「苦」の時期を眠っていてなかったことにすることはできません。
修復の望めない人間関係、苛立たしい状況、終わりの見えない困難。すべてが不毛に思える時期。そんな、逆境にさらされ干からびていくような人生の砂漠を体験すると、順風満帆の頃には考えられないほど、支えや助けを強く願います。
神が御民イスラエルを約束の地に導かれる前に荒野に入れられたのは、そういう理由でしょうか。何の苦労もなく即座に目的地に着くようにすることも神にはできたでしょう。そうすれば、彼らは意気揚々と神を賛美したはずです。待つことも苦しむこともなく、助けと支えが一挙に与えられるのを私たちは神に求めがちです。
一方、荒野で御民に示されたように、神が求めておられるのは私たちの心です。私たちが、その場しのぎで頼る対象ではなく真実のお方として神を知り、心からの礼拝をささげるのを、神は望まれます。神が私たちに与えようとしておられるのは、ご自身そのものです。神の子らのために備えられた荒野の道は、単なる奴隷生活からの逃げ道ではありませんでした。紅海を安全に渡らせ、毎日マナを与え、約束の地カナンにつづくその道は、道であり真理でありいのちであるお方を示していました。それがイエスです。このお方こそ、罪と死の荒野に備えられた唯一の道です。
ちゃんと目を開いていれば、実際には砂漠にも美しい景色が広がっています。神の備えに頼って生きることを体得した命あるものに満ちています。それらは、「その恵みはとこしえまで」と、創造主への壮大な賛美を奏でます。実際の砂漠でも人生の砂漠でも、希望をくれるのはただイエスのみ、私たちの唯一の安らぎであり支えなるお方です。
今、荒野を旅する途上だと感じていても、希望はあります。神は、不毛の地に泉を湧かせ、そこに私たちを導くことのできるお方です。途方もない渇きを知ることで、この上ない満たしを体験させてくださるのです。行くべき方向がわからなくなっても、神が荒野に道を開いてくださいます。私たちは、越えられない砂漠の真ん中で、神がおられるならそれで充分だと知ります。
状況が変わっても変わらなくても、苦しみが去っても去らなくても、豊かでも乏しくても、生ける水の源、キリストにある希望をしっかりと握りしめましょう。キリストによる贖いという恵みの雨を全身に受け、主が見せてくださる景色をしっかりと見ましょう。どんなときも、砂漠でさえも、このお方が私たちの唯一の希望だからです。
昔も今も、神は砂漠を用いて神の子らをご自身の御許へと導き、とこしえの恵みを教えてくださいます。太古の昔、砂漠を用いられたように、今も砂漠をとおして、素晴らしい希望、キリストにある希望を見せてくださいます。だから、目を閉じないでください。神は、あなたの砂漠にも素敵な景色を用意しておられるのですから。
ルース・チョウ・シモンズ
著者については、ruthchousimons.com/about/をご覧ください。(英語のみ)
トラブルとつきあう
温度計の針が跳ね上がっていました。車を路肩に停め、エンジンを切って車外に出ると、ボンネットから煙が上がり、エンジンがシューシューと音を立てています。少しバックさせると、オイル漏れを発見しました。ヘッドガスケットがやられたのです。私はため息をつきました。少し前に高額な修理をしたばかり。こうも続くトラブルにうんざりしました。
うわさを止める
英国のケンブリッジのホーリートリニティ教会の牧師に任命されてから、チャールズ・シメオン(1759-1836年)は、何年も抵抗にさらされました。会衆の大多数はシメオンではなく、当時の副牧師を就任させたかったからです。彼らはうわさを流したり、礼拝をボイコットしたり、彼を教会堂から閉め出したりさえしました。しかし、聖霊に満たされたいと願ったシメオンは、ある原則を定め、それに従うことでゴシップに耐えました。そのひとつは、完全な真実でない限り、どんなうわさも信じないこと。もうひとつは、「別の側面から見れば、全く別の物語になると常に信じる」ことです。
しっかり見る
小説家のマーク・トウェインは、人生の何を見るか、またどう見るかが、次のステップ、ひいては運命さえ左右すると言います。「想像力のピントがずれている時は、自分の目は信用できない」と語ります。
エレベーターを修理する
セーラは稀な疾患で関節が外れやすいので電動車椅子が必要です。ある日、電車で会合に行こうとすると、駅のエレベーターが故障していました。エレベーターのある別の駅までは車で40分だと言われ、タクシーを呼びましたが、一向に現れず、外出を諦めました。残念ながら、こんなことはしょっちゅうです。エレベーターの故障で電車に乗れなかったり、障害者用スロープ板を忘れられて、電車から降りられなかったり、駅員に邪見にされて泣きたくなることもよくあります。