真実にしっかりとどまる
実家は、築100年ほどの古い家で多くの特徴があります。しっくいの壁もそのひとつで、壁に絵を掛ける時は、木の支柱がある場所に釘を打つか、石膏アンカーを使わなければなりません。そうしなければ、絵は壁にしっかりくっつかず、落ちてしまうでしょう。
園で
父の告別式では、彼が好きだった「祈りの園生(そのう)を」(新聖歌197番)を歌いました。「わが主はわれと歩み ささやき給いぬ 永遠までも汝は われのものぞと」という繰り返しは、父に、そして私に、喜びをくれました。
波に乗る
海岸の岩場からハワイの海の写真を夫が撮っている間、私は大きな岩に座って自分の病状を心配していました。問題に対処するのは旅を終えてからですが、今、平安が必要です。私は、押し寄せ、黒岩に砕ける波を眺めていましたが、ふと、波間の暗い影に気付きました。カメラのズームを使って見てみると、それは波に乗るウミガメでした。大きく手を広げ、穏やかに、じっとしています。私は潮風を受けて微笑みました。
犠牲
ミケランジェロの最も感動的な作品は、1540年代、友人ヴィットリア・コロンナのために描いたピエタ、イエスの母が息子の亡骸を抱いているチョークの絵画です。マリヤは息子の動かない身体を抱きながら、天を見上げています。背後の十字架には「いかほどの血が流れたのか、知るよしもなし」というダンテの「神曲 天国篇」の一節が記されています。そのとおり。イエスの死に思いを致すとき、その犠牲の大きさをよく考えるべきです。
お世話になった
ラジオ番組のリスナーが番組に電話をして、手術をした妻が退院したと語り、「その間、教会の人たちに本当にお世話になりました」と言いました。私はこの発言に深く感動して、キリスト者が互いの世話をすることの大切さと必要性を再確認しました。キリスト者が互いを思いやって助け合う姿は、人を変革する福音の力を示す最も良い方法です。