米国のエド・ドブソン牧師がALSと診断されると、非常に多くの人が彼の癒やしを祈り、信じて祈ればすぐに癒やされると思っていました。しかし、進行性の病気と闘い続けて12年、亡くなる3年前のことです。ある人が「なぜ癒やされないと思いますか」と尋ねました。彼は言いました。「それは健全な答えのない質問です。ですから、私は問いません」。妻ローナも「答えを求めることに執着すると、真に生きることはできません」と言いました。

ドブソン夫妻の言葉には神に対する畏敬の念が感じられます。彼らは、神の知恵が全てに優っていると分かっていました。しかし、「明日のことを心配しないのは、ほぼ不可能だ」とも述べています。新たな障害は遅かれ早かれ発生し、明日のことは予測不能だからです。

エドは、今に意識を集中させるために、車の中、洗面所の鏡、ベッドの横に、次のみことばを貼り付けました。「主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。ですから、私たちは確信をもって言います。『主は私の助け手。私は恐れない』」(ヘブ13:5-6)。そして、不安に襲われると、このみことばを繰り返しました。

明日のことは誰にも分かりません。もしかしたら、エドの習慣は、私たちを助け、心配を信頼に変えてくれるかもしれません。