信仰によるもてなし
公民権運動が活発だった頃、ニューオーリンズの有名な料理人リア•チェイスは、自分にできることを精一杯しました。全ての人々に平等な権利を、と行進する人々に食事を振る舞ったのです。彼女は語ります。「私は食事を提供しただけです。彼らは何かのために闘っていました。外に出れば何が起こるか、路上で何が降りかかるか分かりません。けれども、ここに来たら食事が用意されている。彼らはそれを知っていました。それが私にできることでした」

信仰生活のジレンマ
平均的な人は、1日に150回、スマホをチェックしますが、注意を引くものが常に良いものとは限らない、とトリスタン・ハリス氏は信じています。『監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影』は、ソーシャルメディアの世界を作り上げたデジタル界の有名人たちを取り上げたドキュメンタリー映画ですが、その中でハリス氏は、他の登場人物と共に、現状は「ソーシャルジレンマ」だと警鐘を鳴らしています。彼は言います。「私たちの注目が、商品として広告主に売られています。私たちが売り物なのです」

父の宝物
それは何の変哲もないポケットナイフで、古くて変色し、劣化もしています。刃は欠け、持ち手もぐらつきますが、父の宝物でした。私の手に渡るまでは、箱に入れて実家の戸棚に大事にしまってあった祖父の遺品です。私の父は、若い頃に自分の父親と死別しました。父親が大好きだったので、思い出の品を大切にしたのです。

文句ではなくお願いを
アレックスが高額な歯の治療費のために祈っていると、予想に反して保険でカバーされると告げられました。しかし、保険外の治療も必要で、その費用の捻出は困難です。彼はその状況にやり場のない怒りを感じました。ところが、請求書の支払期限の日、親戚から突然、現金書留が届きました。アレックスは自分を恥じたと言います。「保険でカバーされた時、神の介入を体験したはずでした。文句を言わずに、神に助けを求めて祈るべきでした」

全て赦される
ヘミングウェイの短編小説に、疎遠な息子と再会したいスペイン人の父親の話があります。彼は地元紙に次のような広告を載せます。「パコ、火曜日の正午にモンタナホテルに来てくれ。全て赦(ゆる)すから」。すると、800人の「パコ」がやって来ました。この物語のテーマは人の心の奥底には赦されたいという願いがあるということでしょう。それはイエスのたとえ話を想起させます。放らつな生活を求めて家を出た若い男性はやがて窮地に陥ります(ルカ15:13-14)。そして「我に返って」家に戻ると(17節)、父は駆け寄ってきて、彼に謝罪を口にする間さえ与えず、抱きしめます(20節)。父は「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と喜びました(24節)。この物語で、父は神を表し、息子は私たちを表します。私たちが神の元に戻るとき天の御国は喜びに湧くのです。